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仙の道 5

第三章・醒(1)


2日後、仕事中に戸枝から連絡があった。
『どう?少し何とかなりそうですか?』
「いえ、あっちこっち頼んでみたんですけど…少ししか用立てられそうもなくて…すいません」
『少しって…いくら位?』
「50万位…です」
『なんだよ…そんなんじゃ話になんねえなあ…もうちょっと何とかなんないのお?』戸枝は露骨に口調を変えた。
「今日、勤め先の方にも少し前借りできないか相談してみますけど…多分、そんなには…」
『あのさあ…君、頼み方が甘いんじゃないの?状況、良く分かってないよ。もっと必死で頼んだらさあ、百万や2百万は何とでもなるだろう?もう一回頼んでみろよ!こっちだって可愛そうだと思うから親切で言ってるんだからよ…』
「はあ…すみません…でも…」
『でもじゃねえよ!甘ったれんじゃねえぞ!もう一寸、必死でかき集めてこいっ!』
「やれるだけ、やってみます…」
『じゃあ、明日まで待ってやるよ。明日はそっちから連絡してこい。分かったな?明日だぞ』
「はい…」

それで電話は切れた。傍らで聞き耳を立てていた店長の早川が心配そうに声を掛けた。
「どうしたの?何かあったの?」
「ええ…ちょっと…今日仕事が終わったら、相談しようと思ってたんですけど…」
礼司は一昨日からの経緯を話した。早川の顔色が曇った。
「参ったなあ…何とかしてあげたいけど…今、前借りはまずいよ…副社長、いやお袋説得すんの大変だったんだよ、春田くん正社員にするのさ…訳ありの家庭の子はやめとけってずっと反対してたからさ。社長が、真面目にやってる奴なんだからいいじゃねえかって、ようやく押し切ってくれたんだよ…だから今はちょっと、そういうのは…ねえ…」
「分かりました…」
「そうだ、春田くん、今日仕事終わってから時間ある?」
「ええ…」
「一寸話しようか?今の話。ここじゃ何だからさ…」
「あ、はい…すいません」


夜、店を夜勤のアルバイトに任せると、早川は礼司を駅前の甘味処に誘った。
「店長って、甘党なんですか?」
「へへ、ここのクリームあんみつ、好きなんだよなあ…それに、未成年、酒に誘う訳にもいかないだろ?あ、店の連中には内緒な。どお?旨いだろ?」
「ええ…はい…美味しいです」
「そうだ、これ渡しとくよ」店長はそう言って、銀行のロゴが付いた封筒を差し出した。
「え?これ…何ですか?」
「まあ、いいから。昼間ちょこっと銀行行って作ってきた。いい歳して、俺、殆ど貯金してねえから、半分はカードで借りてきたんだけどね。会社からは無理だけど、俺個人から貸しといてやるよ。返すのはいずれ余裕が出来てからでいいから…な、ほら」銀行の封筒の中には30万円入っていた。

「いいんですか?こんな、無理して…」
「どうせ俺は独身だし、親掛かりだしな。春田くんを社員に引き込んだ責任もあるしよ。遠慮しないで使ってよ。その代わり…社長や副社長には絶対に内緒だからな。お袋さんの借金のことも、言わねえ方がいいぞ」
「すいません…助かります…」礼司は深々と頭を下げた。

「でもさ…大丈夫なの?こんなもんで…相手は街金だろ?俺も学生の頃手え出してさ、ま俺の場合は親に内緒で遊びの金欲しくて手え出したんだけどさ。確か20万位だったかなあ…そんでも、時々店の金くすねて少しずつ返してたんだけど、あっという間に倍以上に膨らんじゃってさ…脅されて…結局店に押し掛けられて、お袋にばれちゃって、すんげえ怒られたよ。あいつら、最初は優しいこというけど、回収ん時は容赦ねえぞ」
「分かってます。でも、僕が借りたお金じゃないし…保証人でもないし、母親は病気ですから…うちは取られるもんも何もないし、向こうも困ってるんじゃないかなって…だから、出来る限り誠意を見せれば、怪しい人だけど一応同じ人間なんだから…と、思うんです」
「随分、大人っぽい考え方するんだね、春田くんは。でも、理屈で動く人種じゃねえからなあ…最近はそういう相談に乗ってくれる弁護士も沢山いるっていうから、そういう人にも相談してみたら?」
「もう、どうしようもなくなったら、そうするつもりです」
「そうか…まあ、春田くん、しっかりしてるから、やれるだけやってみたらいいよ。しかし、若いのに、大変だよなあ…」


翌日、礼司は戸枝に連絡を入れた。
『おう、春田さんの坊やか。で、どう?何とかなった?』
「何とか、あと30万、借りられましたけど…」
『なんだよ…じれってえなあ…そんだけかよ』
「やっぱり、80万じゃ、駄目ですか?」
『そりゃお前、無理だろう!元本の半分じゃねえか…ま、取り敢えずその金、うちの若えもんにすぐに取りに行かせるから…店の方でいいのか?』
「あ、いえ…お店の方は、ちょっと…あの…店の並びのちょっと先にちっちゃな公園がありますから、僕、そこまで出て行きます」
『分かった。30分後でいいか?』
「はい…結構です…あの…」
『なんだ?まだ何かあんのか?』
「その時に、80万円分の領収書、欲しいんですけど…」
『分かった。ちゃんと持ってかせるよ。じゃあ、宜しくな。後でまた電話するからよ』
「はい…」


商店街の脇にある人気の無い小さな公園に、若い2人の男が待っていた。コンビニの上着を着た礼司の姿を見ると、身体の大きい方の1人が近付いてきた。
「おたく…春田さん?」
「はい…」
「じゃ、返済の金、預かろうか」礼司は現金の封筒を男に差し出した。
「あの…領収書は?」
「おう安心しな。用意してるよ…ほら…」男は封筒の中の現金を数え終わると、領収書の入った封筒を礼司に渡した。礼司は早速書面を確認した。

「どうも…じゃ、仕事に戻りますんで…」
「ちょっと待ちなよ、お兄ちゃん…」
「まだ…何かありますか?」
「何か?…」男は残忍そうに微笑んだ。
若い使いを寄越すと言われた時から、こんなことになるのではないかと、一応覚悟はしていたが、恐怖は全く感じられなかった。

「うちの社長から伝言があるんだよ」
「何ですか?」
「残りはいつになるか聞いてこいって、言われてんだよ」
「いや…今は、これで精一杯で…すいませんけど…」
「あれえ?聞こえなかったのかな?のこりは、いつになるんですか…って、聞いたんだけど?俺たちさ、返事貰うまでは帰ってくんなって言われてんだよ」
「だから…今はこれ以上僕にはできないんですよ…本当に申し訳ないですけど…」
「返事が貰えない時はよ、社長、どうしろって言ったっけ?」
「きっちり追い込んどけって…言ってましたよねえ…」背の低い方のもう一人が笑いながら応えた。
「追い込むって…どういうことですか?」
「じゃ、教えてやるよ。追い込むってのはよ…こういうことだよっ!」大柄はそう言うと、礼司に一歩近付きながら、肩口を掴むと、慣れた身のこなしで膝を礼司の腹部めがけて突き上げた。

「うおっ!」背中から仰向けに倒れたのは大柄の方だった。
「てめえっ」小柄が礼司の胸ぐらを掴んだ。
「おい、こいつ押さえとけっ!」大柄は起き上がりながら、小柄に指示した。小柄は素早く背後に回り込み、礼司を羽交い締めにした。大柄が重そうな拳を握りしめて礼司の前に立ちはだかった。一瞬、礼司の胸の奥から、何かが湧き上がった。

「坊主、腹に力入れろ!」そう言うと、大柄が拳を礼司の腹部に打ち込んだ。次の瞬間、子供の時と同じことが目の前で起きていた。2人の男は、腕を押さえ、激痛を堪えながら、地面に転がっていた。
「すいません…今はこれ以上、お金用意できないんです。戸枝さんにそう伝えておいて下さい」礼司はそう言い残すと、店に戻った。


夜、何事もなかったかのように仕事を終えると、礼司は帰宅の途についた。恐ろしさも、興奮も、何の感情も沸き起こってこない自分が不思議だった。アパートに向う細い坂道の途中に人影が見えた。近付くと、戸枝だった。
「あ、こんばんわ…お金、受け取ってくれました?」
「おい…お前…うちのもんに…あいつらに何した?」戸枝は明らかに狼狽していた。
「僕は…お金を渡しただけですけど…あ、領収書もちゃんと頂きましたよ」
「ふざけんな…お前、とんでもないことしてくれたな…」
「僕は、言われたようにお金を渡しただけですけど…」
「じゃ、あいつら、何で腕へし折られてんだよ?」
「ああ…あれは…あの人たちが勝手にやったんですよ。あんなことするから…」
「大変だぞお前…まあ、その辺の普通の坊やのつもりで舐めてた俺も悪かったんだけどよ…親父が連れてこいって、落とし前つけさせるって言ってるぞ」
「今ですか?駄目ですよ。俺、母親と一緒に晩ご飯食べなきゃ…その後なら、時間ありますけど…大体、おやじって誰ですか?」礼司は何故これほど自分が落ち着いていられるのか自分でも理解できなかった。相手が何を言おうとしているのか全て分かっていたが、その言い分には巻き込まれる価値もないという確信もあった。

「お、お前…何呑気なこと言ってんだよ。すぐ行かないと…お前…殺されるぞ…」
「戸枝さん…俺…喧嘩嫌いなんですよ。これ以上、人を傷つけたくないんです。ああいうことさせないでくださいよ。お願いします…」礼司は戸枝に近付き頭を下げた。戸枝は後ずさりしていた。

「わ、分かった…じゃあ、飯食い終わったら、一緒に来てくれるんだな?」
「いいですけど…喧嘩みたいなのはやめてくださいよ」
「じゃあ、早く飯食ってこい。俺はここで待ってるから…」
「戸枝さんも一緒にうちに来ません?ここで待つんじゃあ、手持無沙汰でしょ?」
「いいのか?」
「だって、戸枝さん、うちに来たことあるんでしょ?母とも面識あるんだし…」
「ああ…そう、そうだな…じゃ、そうさせて…貰おうかな…」


「どうも…お邪魔します…奥さん、すいません、晩ご飯時に…」礼司と一緒にアパートに上がり込んできた戸枝を見て、昌美は不思議そうな表情を浮かべた。
「あら、お客さま?礼くんのお仕事の人?」
「何言ってんだよ、戸枝さんだよ。ほら、お母さんお金借りたんだろう?」
「どうも…御無沙汰してます…坊ちゃんに誘われちゃって…すいません…」

母は少し脅えた様子で「ああ…戸枝さん…すいません…あたし…まだお仕事が見付からなくて…働けるようになったら、少しずつでもお返ししますから…」
「いや…はは…いいんですよ。坊ちゃんの方といろいろ…あの…相談してますから」
「あら、そうなの?嫌だわあ…息子には言わないでって、お願いしたのに…」
「いや、俺の方からそうさせてくれって、頼んだんだ。そうですよね、戸枝さん」
「え?ええ…あ、少しは返して頂けましたし…」
「すいません…御迷惑ばっかりお掛けして…戸枝さん、お夕食まだでしょ?大したものはないけど、一緒に召し上がっていきません?」
「え?俺…いや、私ですか?あの、そんな…御迷惑でしょうから…」
「いいんですよ。いっつも余っちゃうんだから…ね、3人の方が楽しいし」
「そうですか?じゃ、ちょこっとだけ…御馳走になります…」普通に恐縮している戸枝を見て、礼司は可笑しさを抑えられなかった。

「今日はねえ、麻婆豆腐とかに玉なのよ。かにって言ってもカニカマだけどね。良かった!おかず2品作っといて…礼くん、お客さまがいらっしゃるんだったら、言っといてくれなきゃ駄目よ」
「いや…そこで…あの…急に…そのお…息子さんとですね…」
「悪い悪い…今晩戸枝さんの事務所に相談に行くことになったからさ、僕が誘って連れてきちゃったんだよ。ご飯食べたら、2人で行かなきゃなんないんだ」
「そうなの?ごゆっくりしていらっしゃればいいのに…お客さまとお食事なんて、久し振りよねえ」

昌美は素直に嬉しそうだった。手早く食事の用意をすると、一緒にテーブルに着き、いつものように美味しそうにウィスキーを飲み始めた。戸枝の携帯には何度も事務所から連絡が入っているようだった。戸枝はその度に席を外し、外に出て対応していたが、食事中は何故か概ねにこやかに雑談にも加わっていたばかりか、昌美にもっと飲酒を控えるよう、懸命に諭していた。

第6話につづく…

第1話から読む...


連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家でもあるカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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