クニヒデ

Twitterで書ききれないことや過去のつぶやきの焼き直しの他、ざっくばらんに書いてい…

クニヒデ

Twitterで書ききれないことや過去のつぶやきの焼き直しの他、ざっくばらんに書いていこうと思う。

最近の記事

違和感⑤

圧倒的に違和感があるのは、Tやクィアやクエスチョニングを性別の本質とし、生物学的な性別と一緒くたにして社会制度や施設の構造を変えている現状である。 ジェンダーを消すことと、性自認と性別を混同することはまるで意味が違う。 世の中の男女で分かれているあらゆる施設や建物は、何をどう考えても、身体的特徴の違いと性的指向を理由に区別されている。 LGBはひとまず置いておいて、人間は圧倒的に異性が性的指向である可能性が高い。そのため異性に裸を見せることや異性の裸を見ることに恥ずかしさや

    • 違和感④

      トランスジェンダーや性別違和の正体は、本来の意味での「ジェンダー」であると推測する。 性別に付随するあらゆるイメージを払拭することができれば、自分の趣味嗜好や思考回路の偏りに関わらず、自分の性別を自分の身体通りに認識することができるはずだ。 現実的にはジェンダーの全てをなくすことは不可能だし、その必要性もないと私は考える。なんならジェンダーから外れた存在に対する嫌悪が心に生じることすら、その人の自由意思だと考えている。 問題の本質はジェンダーの存在以上に、ジェンダーから外れ

      • 違和感③

        話を戻す。 先ほど「『心の中』に性別なるものが存在するのであれば、それはまさしく『○性のイメージ像』としか表現できない。ここでようやくジェンダーの本来の要素が見え隠れしてくる。」と書いた。 この文章の中でのジェンダーの本来の要素とは、まさしく「社会性」である。 例えば。 小学生男児がLGBTQ+に関する特別授業を受けて、「私、性自認は女だったんだ」と思ったとする。 そしてその子は次の日からスカートを履いて登校するようになったとする。 この時、なぜこの児童はスカートを履くよう

        • 違和感②

          「心の性」、あるいは「性自認」。 自分は○性であるという認識。 これが身体の性と一致しないことをなぜ「トランスジェンダー」と呼ぶのか。 定義上、社会の性に対する考え方は関係ないのに、なぜジェンダーという言葉を使ったのか。 違和感の一つはここにある。 そして、性別の本質が身体にあるのか自認にあるのかという違和感。 それでは仮に、私は亀であると自認したとしよう。 亀とは「爬虫(はちゅう)類かめ目の動物の総称。胴は箱形の甲になっており、頭・尾・四足をその中にひっこめることができる

          違和感①

          最近本当に世の中の変化が多いし、早い。 変化する先が正しいか間違っているかは置いておいて、問題は吟味されずに変化を受け入れる人が多いというか、国民が吟味する暇もなく国が変わろうとしているというか、そういうプロセスの部分であろう。 強行突破のような変化には、論理の破綻みたいなものが見え隠れする。あとは変化するもの同士の整合性もとれていなかったりもする。 そういった変化が向かう先は、往々にして"破綻"である。 自然環境の保全を掲げながら一方で山を削って太陽光パネルを設置するとか、

          内側から湧き出てこないとなかなかね。

          結局、文章を書きたいと思うことなんてあんまりないんですよね。 誰かに伝えたい自論や自画自賛したい程の発見、訴えたい問題やその解決策、目を向けてほしい価値観。 そういうものは無いわけではなくて、むしろ人並み以上にあるんだと思う。 でも今日という日まで文章にはしなかった。 Twitter(私は頑なにTwitterと呼び続ける)にちょろっと投稿したり、投稿する直前で消したり。ゲームとか漫画とか読む時間はあったから忙しかったからでは説明がつかない。 多分内側から湧き出るような熱

          内側から湧き出てこないとなかなかね。

          有機的な結びつき、積み重ねの重要性

          料理の話最近、家の味を受け継ぐために母から料理を教わっている。 とはいえまだ味噌汁の作り方を教わっただけだが。 大学最後の春休み、時間を持て余している私は何かしら新しいことを始めようと思っていた(noteもその一つだ)。 自身の生活力が皆無である私は、炊事洗濯を会得する良い機会だと考えた。 最低条件の料理から手をつけ始め、最初の献立に味噌汁を選択。 米を炊き、味噌汁と肉か野菜を用意することができれば、あとはサラダを合わせて一食が完成する。これさえ出来れば健康の維持はできるだ

          有機的な結びつき、積み重ねの重要性

          初投稿

          思ったことを記録に残すことはTwitterでも出来るけれど、Twitterよりも長文が書きやすいことと、見返したり検索するのが簡単そうだったことを理由にnoteを始めました。他にも今までしたことがないことをしようと思ったことや、友達のnoteを読んで楽しそうだと思ったからっていう理由もある。 書くといってもこれまで文才や語彙は特に磨いてこなかったので人様の心に残るような文章は(今の所)作れないと思いますが、誰かの心に残すことを目的にした作品は大概誰の心にも残らないような気が