違和感⑤

圧倒的に違和感があるのは、Tやクィアやクエスチョニングを性別の本質とし、生物学的な性別と一緒くたにして社会制度や施設の構造を変えている現状である。
ジェンダーを消すことと、性自認と性別を混同することはまるで意味が違う。

世の中の男女で分かれているあらゆる施設や建物は、何をどう考えても、身体的特徴の違いと性的指向を理由に区別されている。
LGBはひとまず置いておいて、人間は圧倒的に異性が性的指向である可能性が高い。そのため異性に裸を見せることや異性の裸を見ることに恥ずかしさや嫌悪感を抱くことは想像に難くない。
異性が銭湯やトイレの中に入ることを許可したら、性衝動が性犯罪につながる可能性も十二分にある。
ここに性自認という概念を投げ込むとどうなるか、火を見るより明らかである。
事実、トランスジェンダーを名乗る存在が銭湯やトイレに侵入し性犯罪をおこなったという事件はすでに起きている。

やはり、吟味されずに取り入れた変化は破綻しか導かない。

言葉の定義、論理展開、当事者の声、現実的な問題。
あらゆる角度から"それ"を見ていかなければ、核となる問題は見えてこない。
聞き心地の良い正論や御涙頂戴なドラマでは救えない心がある。


クニヒデ

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