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「承認欲求はよくない」はよくない?

僕はもともと「誰かから認められたい」や、「社会的に価値のある仕事をしたい」のように、他者の承認を必要とする欲求によってキャリアや生き方を選択してきた。

そのため途中すごく苦しくなった。

その際に「嫌われる勇気」などのアドラー心理学で、「承認欲求を捨てよ」と言い切ってもらえ、その通りにしたことでだいぶ心が軽くなった。
(ありがとー、アドラーさん)

一方で「承認欲求はよくない」が強くなりすぎてて、たとえばnoteを書いて、誰かが「いいね」をくれても、

「いやいや、僕は自分がやりたいからやってるのであって、いいねが欲しいわけでは決してない」

のようにその「いいね」を素直に受け取れない。

また、誰かを喜ばそうと思って行動に出るんだけど、それ自体も

これはその子が喜ぶからやるというよりも、喜ばしたいという自分の気持ちでやるんだ。だからその子がどう思おうが究極は関係ない

のような感じになる。

めんどくさいでしょ?

いや、いいこともたくさんあって、これだと他者を責めることが基本はなくなる。
相手がどんな反応をしようが究極は関係ないので、人間関係は相当穏やか。

ただ最近はこの承認欲求も使い方次第だなーと思っていて、たとえば

自分の納得いくnoteが書けた→誰かが「すごいね!」と言ってくれた

は、良いんだと思う。単純に喜べば。

これは仮に誰も「すごいね」と言ってくれなくても納得感はある。

反対に

誰かに「すごいね!」と言ってもらうためにnoteを書いた→誰かが「すごいね」と言ってくれた

これはあんまりよくない。狙い通りといえば狙い通りなんだけど、

それは本当に自分が言いたいことなのか?

を疑ったほうがいい。
「すごいね」と言われるためだけの装飾された考えや言葉はどこかに気持ち悪さを感じる。自分も感じるし、読んでくれてる人も感じる。
そしてさらにたちが悪いのは「すごいね」と言われないことに不満を感じ出すところ。

てことは、だ。
承認欲求から始まった行動はちょっと注意して見る必要がある。
一方で、行動自体は内なる欲求から出たことで、それ自体が承認されることを喜ぶことは結構健全。

なのかもしれない。
まだこの辺はわからないけど現状の整理として。
おあとがよろしいようで。

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