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母の死に目に会えなかった私が思う「親の死に目に会うよりも大切なこと」

母の命日なので実家に帰ってきた。

子どもの頃、霊柩車を見たら親指を隠せといわれたことがあるだろうか。そうしないと「親の死に目に会えない」と言われていた。

私は23歳で上京した。東京から実家までは約3時間。その頃から、親の死に目に会えない可能性についてはある程度覚悟はしていた。

していたけれど。

日曜の夜に「また金曜日に来るからね」と母に伝えて東京に戻った翌々日、いつでも駆けつけられるようにと荷物をキャリーケースに詰めて眠れない夜を過ごしたその明け方に、父から電話がかかってきた。「もう危ないかもしれない」と。

私はその少し前に、いつか必要になると喪服を買っていた。買ってはいたものの、それを持って母の病室に駆けつけるなんてどうしてもどうしてもできなくて、喪服だけ宅急便で発送しようと夜明けのコンビニに立ち寄った。そのあと、しばらく帰ってこられないかもしれないと、早朝の会社にノートPCを取りにも行き、急いで新幹線に乗った。

3時間後に病院に到着した。母は、息を引き取ったばかりだった。

私は、母の死に目に会えなかった。

母の手はまだ温かかった。家からまっすぐ新幹線に乗っていたら間に合っていたかもしれないのに、愚かだったとあの日の判断を悔いたこともある。

でも私は、喪服がいよいよ必要かと思ったあの朝でさえ、母が死ぬなんて思っていなかった。残り時間が3時間切ってるなんて思ってもいなかったのだ。

自動ドアの前で「開け~、ゴマ!」と言っては、「ほ~ら開いた」と車いすを押す私を笑わせた母

一日の出来事の全てをまるで昨日のことのように事細かに思い出せるあの日から、もう8年も経ったなんて信じられないね、と父と話す。

晴れ女を豪語していた母の命日はいつも快晴だ。「やっぱりな」と思いながら、この日も燦々とあたたかい太陽が降り注ぐ母のお墓に手を合わせた。「そこにはおらんと思うけどね」と笑いながら墓石に話しかける父と一緒に。

母の病室を飾り付けて家族全員で母のお誕生日をお祝いした。旅立ちの数日前のことだった

あの日、母の死に目に会えなかった私に父はこう言った。

「ただ死ぬ瞬間にそこにいなかっただけのことだ。気に病む必要はない。お前は毎週末東京から来てくれてた。それでいいんだよ。」と。

もはやケーキなど喉を通らなかった母だが「家族みんなでお祝いしてくれてうれしい」と笑った

親が最後の息を引き取る瞬間に立ち会えないことは親不孝のように言われてきている。しかし果たして本当にそうだろうか。

冒頭の写真は、私が一番好きな母とのツーショット写真だ。母の顔がつやつやして、とってもかわいく笑っている。

それは「俺たちフェリーで北海道旅行行くんだけど、お前も現地集合で来ない?」と父から誘われた旅だった。当時30代後半の私は、責任ある仕事も任されていて忙しく過ごしていた。いつもの私なら「今忙しいからちょっと無理。また今度」と断ってもおかしくなかった。しかしたまたまその時期は、一つの仕事の山が終わって少し有給休暇をとる余裕があり、マイレージもたまっていた。好条件が重なって、自分でも珍しいくらい「いいね、行くわ」と、ひょいっと北海道旅行にのったのだった。

その旅先で、私は母から病気のことを告白された。その写真では笑っているが、母に見えないところで私はずーっと泣いていた。あと何回、母と紅葉を見られるのだろうなどと考えていた。それが最後の秋になるとも知らずに。

これが最後の旅となるとも知らずに。

おひとりさまの私のように、誰もがひょいっと親と旅行に行ったり、年に何度も実家に帰れるわけではないと思う。

でも。

私が親の死などまだ全く自分ごととして考えていなかった30代前半に読んだ本の一節を、紹介しておこうと思う。

たとえば、親と離れて暮らしている場合。

1年間で親に会えるのは、お正月とお盆の6日間しかないとしたら、どうなるでしょう。6日間といっても、1日のうち、親と一緒にいる時間は1日の半分以下。多くて11時間と計算してみてください。仮に、親が60歳で80歳まで生きるとしたなら、こんな数字がはじき出されます。

20年(親の残された寿命)×6日間(1年間に会う日数)×11時間(1日で一緒にいる時間)=1320時間

あなたと親が一緒に過ごせる時間は1320時間。日数にすると、わずか55日間!盆暮れごとにあっても、親子の人生は、余命2カ月足らずの短さ!?そう考えると、思わず絶句してしまいそうです。

“親の死”は、いつかは必ず訪れる―――。

ほとんどの人がそのことを頭では分かっていても、日々の忙しさに流され、親の死とどう向き合うべきなのか、真剣に考える機会を逃してきたのではないでしょうか。

そして“親の死”という現実に直面して初めて、もう二度と会えなくなった親への思いをめぐらす―――。というのが、現実ではないかと思います。

 泰文堂「親が死ぬまでにしたい55のこと」

母がいなくなってからあっという間に過ぎたように思える時間は、実は体感しているよりもずっと長い。実際、私の人生のすでに20%以上の時間は、母のいない人生となった。そしてこの比率はこの後どんどん増えていく。

現在71歳の父とは、あとどれぐらいの時間を過ごせるだろう。

共にごはんを食べ、散歩や買い物に出かけ、たまに旅に出る。数時間後には忘れてしまうような、こないだ見たテレビの話から、互いの友人の話、最近の出来事のほか、父にもそんなことがあったのかというような打ち明け話を聞くこともある。

「死に目に会う」ことは必要以上に重要視されてはいないだろうか。

考えたくないが、父もいつかはこの世を去る。その死に目に会えない可能性もゼロではない。でも、私は、こうして父との時間が有限であることを意識しながら、父が元気なうちに良い時間をともに過ごしているという自負がある。

私はそれを親孝行のためにしてるつもりはないし、親孝行をしましょう、なんて訴えるつもりも毛頭ない。「子どもは5歳までで一生分の親孝行をする」らしいから、頑張る必要はない。

ただ親との時間を大切に過ごすことは、自分のために意味がある。きっとその時が来ても後悔が少ない気がする。

私はあの時「今忙しいからちょっと無理。また今度」と、それが最後の旅になるとも知らずに誘いを断っていたら、一生後悔したかもしれない。

少し早く親を亡くした私の気づきが、これを読む誰かの日々が一ミリでも幸せな方に動くきっかけになったら嬉しい。



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