心が、さまよった時
発表会があと二ヶ月というところまで
迫ってきた。
最近わき出たはずのものが、
すでに、すぐそこの出口に向かってるという感じ。
トンネルはいったら
ゴール近すぎて、もう光がまぶしい、みたいな。
(それはトンネルというのか)
それぐらい、
休講明けから一気に物事が進んでいる。
でも発表会、
演奏するのは私でなく生徒なので、
ひたすら彼らに
「自分なりの計画をもって進めてね」
と言葉をかけるのみ。
全て本人に委ねている。
*
なにか物事に取り組むとき、
そう、
「取り組める」という言葉の方が
あっているだろうか、
それはある意味
自分の心が健康だから。
多少の揺れはあるだろうけど、
ここに戻ればいいんだよ、という場所を
心が、知っている。
「ここは、自分がいていいんだな」
という場所。
でも、さまよって、
どんどん森のなかに入ってしまうと、
心が叫びだし、
最後には
自分そのものを傷つけてしまう。
、、、
、、、
そんな生徒たちと
過去に何度か出会ったとき、
私はどう向き合うべきなのか
昔は必死に考えた。
でも、
そもそも
「向き合うべき」というところに
正しき答えを求めている。
これ、という、ひとつの。
明解な、答えを。
*
ひとの心は
本当にそれぞれだから、
私の考える小さな世界で、
すべてを抱きしめるなんて、
それは到底、
無理なこと。
*
あっという間に過ぎる30分のなかで、
私はそんな生徒の
「ここにいて、いいんだよ」
という場所になれるとは思っていない。
ただ、
そんな辛いときにも、
ドアを開けて
部屋に入ってきてくれたら、
彼らをごく普通に
迎え入れること。
そして、
横にそっといて、
何か特別なことをするわけでもなく
時間を過ごすこと。
目があったら
そのときは、心を持って、見つめ返すこと。
そんなことを、
長い時間かけ、
ずっと静かに繰り返し、
ふと本人が
「ここでも、いいのかな」
と感じたのなら。
kumi_kie
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