心が、さまよった時

発表会があと二ヶ月というところまで
迫ってきた。

最近わき出たはずのものが、
すでに、すぐそこの出口に向かってるという感じ。

トンネルはいったら
ゴール近すぎて、もう光がまぶしい、みたいな。
(それはトンネルというのか)

それぐらい、
休講明けから一気に物事が進んでいる。


でも発表会、

演奏するのは私でなく生徒なので、
ひたすら彼らに

「自分なりの計画をもって進めてね」

と言葉をかけるのみ。

全て本人に委ねている。

なにか物事に取り組むとき、

そう、
「取り組める」という言葉の方が
あっているだろうか、

それはある意味
自分の心が健康だから。

多少の揺れはあるだろうけど、
ここに戻ればいいんだよ、という場所を
心が、知っている。

「ここは、自分がいていいんだな」
という場所。

でも、さまよって、
どんどん森のなかに入ってしまうと、
心が叫びだし、
最後には
自分そのものを傷つけてしまう。

、、、
、、、

そんな生徒たちと
過去に何度か出会ったとき、

私はどう向き合うべきなのか

昔は必死に考えた。

でも、
そもそも

「向き合うべき」というところに
正しき答えを求めている。

これ、という、ひとつの。
明解な、答えを。



ひとの心は
本当にそれぞれだから、

私の考える小さな世界で、
すべてを抱きしめるなんて、

それは到底、
無理なこと。



あっという間に過ぎる30分のなかで、
私はそんな生徒の
「ここにいて、いいんだよ」
という場所になれるとは思っていない。

ただ、
そんな辛いときにも、

ドアを開けて
部屋に入ってきてくれたら、
彼らをごく普通に
迎え入れること。

そして、
横にそっといて、
何か特別なことをするわけでもなく
時間を過ごすこと。

目があったら
そのときは、心を持って、見つめ返すこと。

そんなことを、
長い時間かけ、
ずっと静かに繰り返し、

ふと本人が

「ここでも、いいのかな」

と感じたのなら。

kumi_kie


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