見出し画像

他人のきもち

「自分がされたら嫌な事は相手にしない事」
誰に言われたかも覚えてないけど多分これって一般的に教えられている道徳で
私もそれが当たり前だと思って心掛けてきた。結構忠実に。
逆もまたしかりで
「自分がされたら嬉しい事を相手にもする」も実践してきた。
けれど何故か毎回この2つの行動に違和感があって
私の配慮が足りずに相手を傷つける事もしばしばあったし
無神経だとか思いやりが足りないとか言われたりもした。

なんでだろうと真剣に考えてみたら
そもそも私は相手の言動に対して「嫌だな」って感じる事があまりなかった。
心が寛容であるわけじゃなくて。
ただ鈍感だった。
例えば
私が食べているピノを
少しちょうだいーと言って3個食べちゃう人がいても
自分の気持ちに疎いから怒りもないし
ボーっと残りのピノを食べて美味しかったーで終わるし
その後その人がピノ食べたせいでなんかお腹痛いわー
食べなきゃよかったわーとか言ってても
整腸剤飲んどけーくらいにしか思わなくて

でもそれ、私は嫌じゃないから皆も嫌じゃないよねって
もうなんかサイコパスみたいで恐ろしい。

自分がされたら嫌な事がほとんどなさ過ぎるせいで
相手が嫌な気分になる事がなんなのかくみ取れない。

無意識に傷つけてるってかなり重罪な気がして

じゃあどうしようとまた真剣に考えてみたら
そもそも自分基準で物事の良し悪しを判断してる事がまず傲慢であって
受取り方はひとそれぞれなんだから
「相手になったつもりで考える」が一番なんだな。

この人の性格だったらこう思うかなとか
あの人だったら今こうするかなとか。

これって、相手の事をある程度わかっていなきゃできない事だけど
わかろうとする事で関係も良好になる気がして
とても良いと思います。


https://www.instagram.com/kumi.ando/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?