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【指揮者のいないオーケストラのよう】

仕事上、大学生と会議をすることがあります。
複数の大学生が集まり、いろいろな活動に向けて討議をします。
企画をして実行して振り返る中で、大学生の学びがあります。

ある企画を実行しているのを見ていると、各プログラムは考えられているが、1日(2時間程度)を通して見るとちぐはぐさを感じました。言い換えるならば、プレハブ式にはめ込んでみたが、全体の流れが分からない状態です。

この原因は何か?

多分、部分部分の企画を考え合わせた時に、全体の流れを見れていない。ここの企画を合わせた時、不具合が生じることは多々あります。そのとき、誰かがダメ出する必要があります。

でも、最近の大学生は「褒め合う」「認め合う」「受け止め合う」の気持ちが強すぎて、「ダメ出しをする」がなかなかできません。仲良くすることは良いことです。でも、企画をより良いものにする場合、否定をしたり、対案を出したりすることが求められます。

そして、その時に必要なのが柱となる人の存在です。オーケストラで言うならば指揮者。各楽器の演奏者に力があったとしても、オーケストラとしてどのようなイメージで演奏するか、最後に決めるのは指揮者です。

この指揮者不在のグループ活動では、なんでもかんでもてんこ盛りにするため、時間も細切れになります。本来は企画(主に研修)を経て成長を促すことが目的なのですが、いつの間にか提案されたものを実施する、こなすことが目的となってしまいます。

提案への否定=人格否定ではありません。でも、日本人はどうしても、否定されると人格まで否定されたと思いがちです。討議下手とも言えます。そして「まずは相手を受け入れる」という同調圧力的思考が影響して、討議本来の意味がなくなっている気がします。

さて、どのような示唆を与えると、彼らは気が付き行動するのか?これは私の課題です。



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