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総合型・推薦入試か、一般入試か。

 先日、日経新聞で「偏差値時代 終幕の足音」というタイトルの記事を読みました。※有料会員しか読めないので、簡単に紹介します💦

これからの高校教育を考えていく上で非常に考えさせられた内容だったため、記事を引用しながら、自分の考えをお伝え出来ればと思います。

■筆記試験の割合が5割を切り、総合型選抜試験の時代へ。

印象に残った内容を簡単にまとめます。

・筆記による一般入試の割合が減少。
 例)早稲田大学  56%(2002年度より‐16pt)
   慶応義塾大学 57%(2002年度より‐7pt)
・面接などの総合型選抜(旧AO試験)と推薦入試の割合が増加。
 (国公立大学)
 2000年度 33.1% → 2021年度 50.3%
 (私立大学)
 約6割。(2000年度より+20pt)

総合型選抜試験は主に面接や小論文、プレゼン発表など、筆記試験を課さず、高校での実績をPRすることによって合格を目指す試験です。

私の勤務校でも年々このスタイルで受験する生徒が増えてきました。

全国的にも総合型選抜や推薦で合格する生徒が5割を超えています。
(引用:ttps://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/2020/1414952_00003.htm)

「暗記ではなく思考力を伸ばす」という今の学習指導要領にあった入試で、今後も増えていくと思われます。

今年度より始まった「総合的な探究の時間」も、総合型選抜試験のための材料を集めている側面があるように思います。

■筆記ではない試験が増加する一方で…。

方向性としては間違っていないと思いましたが、記事の中で以下の項目が目に留まりました。

・有力私大幹部が以下のように話す。
 「総合型の受験生が増えるにつれて丁寧な選考ができなくなり、学力不足の学生が増えた」
40%の学生は入学後に高校段階の補習を受けている。(21年度ベネッセ調べ)
・各国の大学を標準年数で卒業する比率(2017年)
 アメリカ 38% 
 フランス 41%
 英国   72%
 ドイツ  80%
 日本   93%

これらのデータから、今後日本は入学しやすく、卒業しやすい大学になるという傾向になりそうです。

一生懸命勉強していないと合格できなかった大学の関門が下がれば、ただでさえ大学で勉強をしない学生が多い中、

日本人は一体どこで勉強するようになるのか。

こういった危惧が、記事の主なメッセージのように感じました。

■目的に立ち返ることが大事なのでは。

 記事を受けて、私は改めて「大学とは何か」という問いを考えさせられました。

総合型・推薦であれ、一般入試であれ、それは手段であって、大学に入った後が重要だと、私は考えるからです。

私は大学を「人や社会を豊かにするために、真理を探究する場所」だと思っています。

大学は最高学府と言われます。

そのため、勉強するために行く場所です。

逆に、勉強したくない人が行ってはいけない場所なのではないかとさえ思ったりします。
(自分の進路を探したくて行くのは全然ありです!)

ただ、理想はそうでも大卒という肩書がないと社会で苦労する現実があります。

こういう社会の構造である以上、自分が願っていないのに大学に行かざるを得ない人も多いのではないかと、進路指導をしながら感じるところがあります。

親が言うから。

先生が言うから。

大学へ行くのが普通だから。

そういう動機から、少しでも
「社会の課題を解決したいから」
「〇〇について、もっと深く学んでみたい」という風に心からなっていけば良いなと思います。
(総合型選抜を合格するための表面上の理由ではなくて)

動機が伴えば、人は目の色が変わります。

そんな生徒の変化を見るのが、私は大好きです。

高校教師として、学問の面白さを少しでも教科を通して教えていくことが大切ではないかなと感じています。

私は幕末や明治の歴史をもっと学びたくて、一生懸命勉強していました。

日本史の先生がとても面白くて、起きた出来事に「なぜ?」を連発する先生で、授業中かなり考えさせられていました。

生徒の好奇心に火をつける授業をする。

それが今、自分が出来ることだと思いました。


教育のこと、授業をしている倫理や政治経済のこと、熊本の良いところ…。 記事の幅が多岐に渡りますが、それはシンプルに「多くの人の人生を豊かにしたい!」という想いから!。参考となる記事になるようコツコツ書いていきます(^^)/