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学校は最後の「立ち止まって考える」場所なのかもしれない。

 時間に余裕ができ、やっと長めの文章を書くことができました。ありがたいです(^^)

最近はテストづくりや授業の準備、大会引率などやる業務が多すぎて慌ただしく過ごしておりました。

余裕を持って生活することの大切さを、忙しい毎日だからこそ感じていました。

今日は学校についてふと考えたことをつぶやいてみます。

「考える」時間が少なくなっている…?

休みの日になって気づきましたが、「結構スマホをいじっている時間が長いな、、」と思いました。

スマホは情報が簡単に手に入れることができ、かつ面白いコンテンツがいっぱいです。

しかし、物事をじっくり考えることに、スマホは向いていません。

最近になって、これに気づきました。

YouTubeやInstagramをはじめ、面白いコンテンツが流れるようにどんどん出てくる中で、「じっくり考えるって、あんまりやってないな…」と思いました。

生徒も一緒なのかな、、、と。

将来についてじっくり考える必要のある高校生の時期に、それに向き合わずにスマホの中の快楽に向かうことのリスクは結構大きいのではないかと思いました。

自分は将来何がしたいのだろう・・・。
どんな生き方をしたいのだろう・・・。
仕事、何やりたいんだろう・・・。

私は高校時代、自転車で帰りながらこんなことをずっと考えていたような気がします。(やっぱりこの時点で変わってますかね笑)

でも、そのおかげで後悔のない進路選択ができました。

高校3年生を見ながら思うのは、「じっくり物事を考える時間がなくなっているのかな、、」ということです。

志望理由書の添削や面接をしていて、悩んで悩んで考え抜いた自分の言葉が年々減っているように感じているのが、その現れのように感じます。

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スマホが使えない学校って、貴重な場なのでは…。

考える時間が大人でさえ少ない現代社会の中で、学校はスマホを強制的に使えない場です。(校則によるとは思いますが、、、)

一昨日のことですが、倫理の授業で問いを出し、生徒がワークシートに向かって考えている様子を見ながら、こういう場が減っているのかな、、と感じました。

スマホを使わず1日を過ごす。

学校では当たり前です。

しかし我々大人には、年間にスマホを全く使わない1日が情報化社会の中で何日あるでしょうか。。。

かつてフランスの哲学者パスカルは言いました。

「人間は考える葦である。」

人間は脆い。だけれど考えることができる点で尊い存在である。

そんな意味が、この言葉の背景にはあります。

倫理の教員として「考える」ということに向き合う中で、学校の存在意義を感じたところでした。

一方で、1人1台タブレット端末が配布されている中で、休み時間にYouTubeを見たり(学習用に限らせてはいますが、、、どうかな💦)、検索をしている生徒も増えてきて、

ますますじっくり考える時間が少なくなっている現実があります。

人間らしい「考える」という行為を、止めたくない。

教員として、一人の人間として、そう思う今日この頃です。


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