見出し画像

月例落選 2022年3月号

角川『短歌』3月号が届く。昨年12月15日締め切り分。このところ落選続きで少し焦っている。

「月例落選」には見出し写真に白黒のレンズ付きフィルムで撮影したものを使うことにしているのだが、落選続きで写真の持ちネタが払底しつつある。フィルムなので、29枚とか36枚とか撮り終わらないと現像に出せないし、一応毎日持ち歩いてはいるものの撮りたいものなどそうそうあるわけでもないので、一向に撮り終わらないのである。撮りきらなくても現像に出すことはできるが、それではもったいない。「MOTTAINAI」は世界の言葉。

佳作に入ることを狙うのはそれほど難しいとは思わない。しかし、それには心にないことを取り繕わないといけない。そんなことのために歌や句を詠むくらいなら今すぐ死んだ方がマシだと思うのである。4月号からは『俳句』も始まる。「月例落選」がダブルになるのである。写真が間にあわない、どうしよう、と焦っている。

まずは題詠。お題は「ビニール」。

長いこと空き家の前の路地抜ける風が舞い揚ぐビニール袋
(ながいこと あきやのまえの ろじぬける かぜがまいあぐ びにーるぶくろ)

ビニールに包装されているだけで品質保証幻想喚起
(びにーるに ほうそうされて いるだけで ひんしつほしょう げんそうかんき)

ネットより「抜け」の良かったビニ本也あの頃はまだ若かったけど
(ねっとより ぬけのよかった びにぼんや あのころはまだ わかかったけど)

「ビニール」と言って真っ先に思い浮かんだのは『アメリカン・ビューティー』という映画だった。脇役の中に内向的な青年がいて、彼が風に舞うレジ袋を恍惚としてビデオカメラで追うシーンがある。それを思い出した。主演はケビン・スペイシーで主題歌がビートルズの「ビコーズ」というだけでも作品に対する興味が猛烈に湧いてくる。湧く人にとっては、だが。

雑詠は以下の四首。

年毎に後ズレ続く紅葉の中で囀る迷い夏鳥
(としごとに あとずれつづく こうようの なかでさえずる まよいなつどり)

大地震「速報」示す被災地は久しく無人過疎の村なり
(おおじしん そくほうしめす ひさいちは ひさしくむじん かそのむらなり)

餌変わり味が変わって価値変わる今は昔の「ニセ」本鮪
(えさかわり あじがかわって かちかわる いまはむかしの にせほんまぐろ)

駅前の店が一軒閉店しコンビニだけが増える年の瀬
(えきまえの みせがいっけん へいてんし こんびにだけが ふえるとしのせ)

「ほぼ日の学校」をサブスクしていて、たまたまこの回の締め切りの頃に、豊洲のマグロ専門卸売り「樋長ひちょう」の代表の飯田統一郎氏の話を聴いた。その中で海の中の環境が変わって魚の味が変わったという話があった。温暖化で海水温が上昇し、海中の植生が変化して生態系も変わる。生態系が変わるということは魚が食べるものが変わるということなので、魚の味が変わることに何の不思議もない。言われて見れば当然なのだが、この話を聞いた時は驚いた。不意を突かれた、とでもいうのか、それまで考えもしなかったことだったからだろう。

生態系と言えば、身近な人間の世界も変わり続けている。何となく、の変化は数限りないが、はっきりしているのは少子高齢化だ。東京で暮らしていても、シャッター商店街が目立つようになっているのだから、地方に行けば尚更だろう、くらいの想像は容易につく。それがはっきりするのは自然災害の時だ。例えば地震。今はちょっと大きな地震があると、すぐに手元のスマホに地震速報が着信する。それに報じられている地震の規模を示すデータを見て、さぞかし大きな被害があっただろうと思っていると、続報がないことの方が多い。人がいないので被害もないのだ。

ところで3月号で入選した歌を見て思ったのだが、記憶というのは時間の経過によって浄化されるのだろうか。人は利己的にできているので、記憶が整理される過程で己に都合の良いように自動的に編集されるのは自然なことだ。それにしても、昔のことがそんなに詠みたいものかとやや唖然とする。秀逸とされた歌に戦争を詠んだ歌が2首あった。

満州の死して凍てりし日本人を丸太のやうに積む馬車を見し
250頁

そもそも何故日本人が満州に渡ったのか、それをこの人はどの程度意識しているだろうか。満州は前人未到の土地ではなかったはずだ。そこに暮らしていた人々がいて、日本がそこを侵略して満州国という日本の傀儡国家を建国したのである。この歌に詠まれた時の数十年前にはおそらくこんな風景も見られたはずだ。

満州の死して凍てりし中国人を丸太のやうに積む馬車を見し

こちらの歌は果たして秀逸に選ばれるだろうか。もう一首はこれだ。

桜散る国を裁きしポツダムの宮殿の空鯨雲ゆく
258頁

1989年6月3日にポツダムに遊びに行った。ポツダム会議の会場となったチェチェリエンホフを訪れた。

会議場となった部屋が再現されていた 1989年6月3日筆者撮影

その時のことは以前に書いた。私が訪れたのは東ドイツ時代だったので、その後内部の様子が変わったのかもしれないが、ポツダム宣言に関わる展示はわずかなものだった。ポツダム会議の主題は連合国の間でのドイツ占領政策であったことをこの場所を訪れて初めて知った。改めて調べてみると、確かにポツダム会談の公式日程では対日問題は議題に含まれていない。たぶんポツダム会議が対日問題を話し合う場だったと思っているのは日本人だけなのだろう。それで、「桜散る国を裁きしポツダムの宮殿」ということになる。

戦後半世紀以上を過ぎてなお、戦争を詠む人は少なくない。しかし、そのほとんどは被害者面をした歌であるような気がする。詠む人にとっては辛い経験であったのは事実なのだろうし、何十年も記憶に強く残ることを繰り返し詠むことに何の不思議もない。しかし、なぜそういうことになったのかということを問う姿勢が感じられる歌を見たことがない。素朴に不思議である。

不思議といえば、ロシアがウクライナに侵攻した。報道をみる限り、ほぼ無抵抗でロシアに占領されたかのような印象を受ける。本当にウクライナが独立国としての体をなしていたら、これほどあっさりと占領されるだろうか。ソ連崩壊以降のウクライナの歴史は腐敗と混乱の歴史でもある。もちろん、外交努力なしに武力で自国の権益をどうこうしようというのは問題外だが、報道を素直にみるのも危険な気がする。世界は不思議に満ちている。

読んでいただくことが何よりのサポートです。よろしくお願いいたします。