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振り返りnoteと千円札 第1000話・10.21

「こんなところに千円札が......」千本達成(せんぼんたつなり)は、千円札を見てため息をつく。大切お金、それも紙幣がこともあろうに、しおり代わりのように偶然出てきたノートに挟まれていた。
 もちろん最高額の一万円ではないだけマシだったのかもしれない。だが達成の苗字の一部と同じ漢字で表記される千円札は、どうしても他人事のように思えないのだ。 

「もう、お金を粗末にしたよ」達成は千円札をノートから取り出すと、一礼し、自らの財布にしまい込む。
「そうそう、このノートは確か」たまたま探し物をして見つけたノート。もう数年前のものだと思う。だからまっさらではなく、何か文字が数多く書かれていている。何が書いてあるのかと、パラパラめくったら千円札が見つかった。

「でも何で、千円札がこんなところに、で、何書いてたんだ?」達成は気になって仕方がない。ほかのことが手につかないからと、このノートが何を書いているのか振り返ることにした。

 最初の1ページから読む前に、まずはどのくらいノートに書かれていたものか見る。達成が予想した通り、すべてのページは使われておらず、3分の1くらいは空欄だ。肝心の中身だが、どうも日本語では書いていないようで、何を書いているのかわからない。
「どこの言葉だっけ、えっと、あ、懐かしい!」達成はすぐにこの文字がどこの国のものか思い出した。一見見たことのない幾何学模様のようにも見える文字の正体はタイ文字である。それもそのはず、達成は数年前にタイに渡航した経験があった。

「あれは急だったからな」達成の会社は、業界大手でアジアをはじめアメリカやヨーロッパ、さらに中東ドバイに至るまで営業拠点を持っている。第二新卒のような立場で入社した達成は、基本的に国内勤務で海外に行くことは無かったが、唯一3年ほど前に、3か月タイに赴くことになった。
 それは新しいプロジェクトがタイのバンコクで行われることになり、急遽応援が必要になったからである。達成はノートを眺めながら3年前のことを振り返った。

ーーーーーーー

「千本君、悪いが来週から3か月バンコクに行ってくれ」「ええ、僕が海外に!」「ああそうだ。とにかく応援が必要なんでね。うん、何だその顔は。ハハア、言葉のことだな?」
  上司に突然言われたバンコク出張。達成は海外に行ったことはある。だがそれは台湾だ。台湾は漢字が書いてあるからある程度意味はわかる。
 だがタイの言葉は見た目だけでは、何を書いているのか全く見当がつかない。それに達成は英語はほとんどダメ、そのことも達成が緊張した理由でもあった。

「心配するな。現地の専属スタッフは日本人だ。君が言葉の壁で苦しむことは無いと思う。ただ現地の食べ物はちょっとスパイシーだがな。なあに、日本料理店もある。あとは任せておきなさい。あ、千本君パスポートは持ってるな」
「はい、それはあります」と答えた達成。突然のこととはいえ、社命だから従うしかない。
 その日は退社までひたすら戸惑う建成。上司からは「何もしなくてもよい」と言われてもやはり心配である。

「挨拶や日常会話だけでも」そう思った達成は、会社帰りにタイ語が学べる本を買う。人とのあいさつをはじめ、食事の注文の取り方や会計など、旅行者が困らないような会話を中心にしたものであるが、達成は「体で覚えられるかもしれないから」といって、それとは別にまっさらなノートを用意したかと思うと、そこに繰り返しタイ文字を書いていったのだ。

 こうして建成はやることだけは一応して現地に渡航した。だが結局あまり意味がなかったようだ。上司の言うように現地では常駐している日本人スタッフがいて、現地人とのやり取りは彼らが行う。達成のように応援で呼ばれた臨時スタッフは、タイ語はもちろん英語を使うこともない。みんなで食事をするところは日本料理店。日本で食べるのと比べると若干の違和感があるが、特に食べ物で困ることは無かった。

「なんだ、別に困ることないな」と、達成は思ったが、それでも仕事外の時、休日プライベートでの食事や現地のお店に入るときには、現地の人相手にやり取りをする必要があった。
「これを指さして」と現地語で書かれた会話帳で相手とコミュニケーション。また得意ではないものの単語はある程度わかる英語とボディランディングで乗り切る。
 でも、この時のために用意したノートの出番はないまま。

「無駄なことをしたな」最初はノートも持参していたが全く意味がない。達成はかえって荷物になると思い、バンコクに来てから10日くらいでノートは外に持ち出さなくなった。そのまま予定の3ヵ月が終わり、日本に戻った達成はそのままノートを自宅の奥にしまったまま。数年の時を越えて再び姿を現したというわけだ。

「でも、なんで千円、あ、そうか、思い出したぞ」建成はなぜ千円札がノートに挟まっていたのかを思い出した。大した理由ではない。確かノートを最後に持ち出してプライベートのレストランに行ったときのことだ。
 そのとき現地のローカルなレストランに行って食事をした。そして会計の時、「うんと、九百バーツか。よしっと」と思って、タイの通貨千バーツ紙幣を現地の店員に渡す。ところが店員はそれを見ると渋い表情をしている。
「あれ、金額は九百バーツだよね。百バーツおつりだよ」と、達成はボディランゲージを交えた英単語の羅列で説明するが、スタッフの表情は変わらず。しばらくすると、そのスタッフは手渡した札を見せて、「ノー、ジャパニーズ、エン!」と言いだした。
 そう、達成は千バーツを出したつもりが、バーツの札に混ざっていた千円札を誤って出してしまったのだ。

「ขอโทษ.(すみません)」と、達成は覚えたてのタイ語で謝ると、慌てて千バーツ紙幣をスタッフに手渡し、千円札を引き取る。
 こうして少し恥をかきながら帰る途中、バーツの札に交じって日本のお金を入れていると、また同じミスをすると思った。だから手に持っていたノートに挟みこんだというわけなのだ。



※追記:目標の短編小説1000本に達成しましたが、10月中はnote公式のタグ企画が面白いので、とりあえず10月末まではこのまま続けます。

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シリーズ 日々掌編短編小説 1000/1000

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