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最近の一枚 第1037話・11.30

「一枚は描けそうかのう」スケッチレベルだが絵を描き終えたときには、夕暮れが迫っていたが、一応完成したからだろうか?髪に白いものが目立ち始めていた男は、ほっと胸をなでおろす。

「最近は、1日で一枚描けるかどうか、ふう」男は昔であれば1日で2・3枚は描いていたが、どうやら加齢による衰えがあるのか、最近はどうもペースが遅い。
「まあ、量から質へと考えたらいいんじゃないかな」男は焦ることなく自分のペースだけで筆を動かした。

 そのことは良い方向に行った気がする。以前なら少し粗めの絵だったかもしれない。最初は若さが故の勢いで描いた絵だと思っていたが、どうやら最近それは違う気がした。ただ急いでいるから絵が荒い。今は丁寧に描いているためか絵は丁寧だ。

「そう、丁寧なんだ。決して勢いが落ちたわけではない!」ところが男は少し前に後輩に言われたことを瞬時に思い出したのか、思わず声を荒げた。


「昔と比べて絵に勢いがなくなっていませんか?」これは同じ絵描きの後輩に数日前に言われたひとこと。
「いや、丁寧に書いているだけじゃが」と男は反論したが、一回り若い後輩は、さらに話を続ける「うーん、こんなことを言っては大変失礼なんですが、昔の方が勢いがあって僕は好きなんです。あ、ごめんなさい」
 そういって丁寧に頭を下げると、後輩は去っていった。

「勢いがない。加齢がそうさせた、うーむ」男はそれから悩むことが多くなった。男としては以前は荒いからようやく丁寧な一枚が描けたと思ったのに、ああいわれると気になって仕方がない。

 男は荒れない絵を描いているつもりでいても、本当は勢いが衰えてだけではないかという気がしてきている。
 いや薄々そう感じていたのかもしれない。だがそれを適当にごまかしていた節がある。それを後輩が見事に見抜いたのだろう。
「確かにもう若くはないのは確か。だがまだヨボヨボの高齢者でもない!」男はまた大声を出す。

「明日は、少し速度を上げて勢いのある1枚を描いてみるか」少し冷静さがもどると、今日描き終えた1枚の絵を見ながら男はそう思った。

「どうすれば、あいつが言うような勢いの絵が描けるのか、うーむ」
男は明日こそ、後輩が黙り込めるような勢いのある絵が描こうと、布団の上で眠れずに必死に考えている。
「スピーディに動かしててみるか、筆の置き方をわざと意識せずに書いたら勢いがつくのか、いや、それともモチーフかもしれん」

 そういえば男は最近、植物の絵を描く機会が増えた。「だとすれば動くものを描く、うむ、それはあるかもしれない。明日は久しぶりに動物を描いてみよう」

 こんなやり取りを頭の中で浮かべながら男は気が付いたら眠っていた。

 翌日の朝、男は1枚の写真を持ってきた。それは動物が写っている1枚。
「試しにこれで描いてみよう」それは一昨日外で撮影した写真だ。動物園で写したある動物の写真。
「動物園には久しぶりに行けてよかったな」男は特に意識していないつもりだったが、突然動物園に行きたくなった。もしかしたら無意識に後輩の言葉を意識していたのかもしれない。

「よし、描いてみよう」男は、目の前にある柱に写真を固定した。こうしていつものように筆を動かす。「とにかく丁寧さは二の次だ、勢いを重視しよう。写真の動物の動きを思い出すんだ。あの動物の動きを思い出して絵で再現できれば、勢いのある絵が描けるはず。

 こうして男は無心になって筆を動かした。昨日までならゆっくりと、とにかく丁寧に描いていたが、今日は違う速度を重視するかのように筆を動かす。そのためかやはり粗さが出ている。いつもならそれで「荒い!」と思って描き直すか、適当にリカバリをするのだが、今日はあえて何もしない。勢いのあるまま残した。

「おお、できた!」今日は朝から書き始めて、いつもよりも早くまだ午後2時台なのに完成している。
「うーむ」男は唸った。確かに昨日までとは違った動的な絵。いつもの丁寧さはなく、筆に勢いとスピードが加わっているようだ。植物と動物の違いもあるのだろう。その動物の眼光は鋭く獲物を狙う目になっていた。

「よしこれを」男はさっそく完成した絵をデジカメで撮影すると、そのまま後輩に送る。「君が言った勢いのある絵はこれのことかな」と。

 だが返事が来ない。「どうしたんだろう、いつもならすぐに返事をくれそうなものを」
 男は後輩からの返事が来ないので苛立った。だが夜になってようやく来た。「夜まで外出していたので、遅くなりすみません。さっそく拝見しました。この絵勢いがありますね。僕が好きな絵です。ありがとうございます」と書いてある。
「そうか、フフフ」男は笑った。「最近とは違う一枚の絵。たまにはこういう絵もいいな。よし今度はおいしい料理を食べている絵でも描いてみようか」
 男はようやく数日間抱いていた、もやもやが解消されたのだった。


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