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井戸の秘密 第657話・11.10

「あそこの井戸ってもう使ってないんでしょ」私は3年ぶりの実家に帰っていた。私の実家はかつてこの地の庄屋を務めるほどの名家。でもそれは昔の話、今どこにでもいる普通のサラリーマン家庭である。ただ先祖代々引き継がれている土地だけが当時の名残だ。かといってもう古民家ではない。父の代に家は新しいものになっている。木造住宅だけど家としての価値は大したことなさそう。代わりに土地は広い。「あの山も昔は持っていたんだがな」祖父は私に裏山を指さして得意げに語る。もう山のほとんどは売ったそうで、それでも反対側の山はまだ所有していた。そこはミカン畑になっていて、現役を引退した祖父母が趣味でミカンを栽培している。

 そのような私の実家で、すでに忘れ去られたように残っているのが、庭にある井戸。昔はこの井戸水を生活用水に使っていたそうだけど、もう普通に上水道が通じているから井戸を使うことがない。私が生まれたときにはもう井戸は線をしたまま使われていなかった。

「使ってはいないが、埋めてしまうのもな」と祖父は言うにとどまる。「でも、あると妙に気になるわ。何か伝承みたいのとかないの?」私は祖父に迫るように言うが、祖父は首を傾げたまま。「さあ、ワシもようしらん。興味がないからのう。とにかく昔、庄屋だった時代からの物だから。まあ余計なことをしない方がいいんじゃろう。何年も蓋を空けてないし」

「余計に確かめたくなったわね」私は祖父と話してもラチが明かないと、一人で庭にある井戸に行ってみた。石でできた井戸は古びた竹で蓋をしている。「生まれたときとまったく変わっていない」私は無性に井戸の中が気になった。気がつけば蓋を一枚ずつはがそうと両手を伸ばす。「固い、そうよねずっと」和たちは力いっぱい石にへばりついている竹の蓋を取り外していく。力を入れれば女の私でも外せた。中には完全にくっついていたためか、石に竹の一部がへばりついているものがある。

 こうして竹の蓋はすべて外れた。私は中をのぞく。中は真っ暗。しかしかすかに水の音のようなものが聞こえた。「水入っているの」私は声を出すと、中ではこだまのように私の声が響いた。

「どのくらい深いのかしら」私は井戸の奥を見ようと前かがみになるが、これが良くなかった。「あれ、ああああ」私はバランスを崩して井戸の中に落ちてしまう。「キャーアー」私が大声を出しても手遅れ。誰にも聞こえず体はそのまま落下。そして音がしたかと思えば全身が濡れる。井戸水に体が到達した模様。

そしてさらに私の体は落下していく。「これで私の人生も」すでに死を覚悟した私は、過去の出来事を走馬灯のように思い出す。体はなおも落下。ただ落ちた瞬間に感じた冷たいものはなく。また落下の速度も緩やかになっている。

「どこまで落ちるのか」私はどうすることもできずすべてをゆだねた。ところが不思議なことが起きている。すでに数十秒以上水の中にいるのに息が苦しくない。「え?」恐る恐る目を開けてみると、目の前が見える真っ青な空間、ただ私の体は底に向かっているだけ。
 しかし徐々に意識が遠のいている気がした。「いよいよ死ぬのね」私は覚悟した。最後にもう一度目を開ける。するとそこの方の様子がおかしい。何かの境界線のようなものが見える。その下は明らかに液体ではない。「え?」私が感じたときには体は境界線を越えてその下に来た。すると水ではなく空気の世界。ただし光がなく暗闇で何も見えない。「地底世界?」などと考える間もなく、強力な重力が私の体をさらに下に「もうどうにでもなれ」すでに死を覚悟した私には、何があっても驚かない。

ここで突然強力な光が目を襲った。瞬間、私は記憶を失う。

ーーーーーー

「お、おお、気が付いたか」私は家の部屋にいた。布団の中で眠っていたようだ。私の視線に現れたのは祖父。「お前、あの井戸で何してたんじゃ」「あ、」私は井戸に落ちたことを思い出す。「あのうちょっと蓋を触ってたら」

「井戸の方から何か落ちる音がしたから、まさかお前落ちたのかと思って見に行ったら、井戸の前で倒れておった。体が濡れていたが、お前自力で井戸から這い上がってきたのか?」
「え? いや、あ、わ、わからない」私は答えがシドロモドロ。「まあいい。無事だったからな。さっき医者も来てくれたが、目が覚めたら大丈夫だろうっていう事だった」

「あ、あ、ごめんなさい」私は謝るしかない。
「あんな古い井戸に何の興味を持ったんだ。もうこういうことするならやっぱりつぶすしかないかもな」そう言って祖父は奥に行った。

「でも落ちたのに何で、戻ってこれたの? どこかから重力が逆転して上がってきたの」私はこの不思議な現象に戸惑いつつも、まだ人生やりたいことが多かったので、死なずに済んだと胸をなでおろした。



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シリーズ 日々掌編短編小説 657/1000

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