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山の中の猛獣 第796話・3.30

「おい、あれ見ろよ」山の中で突然長嶋が指をさす。「あれは...…え? なぜこんなところに...…」堀内はその方向を見て驚きのあまり言葉を失った。
 山岳部に属している長嶋と堀内、夏になれば3000メートル級の登山を行うが、今はその時のための訓練として低い山を登っている。この山は最高峰が1300メートルくらいで、1000メートル級の峰が連なっている山岳地帯。登山の訓練にはもってこいの場所なのだ。

 ここには初心者でも気軽に歩けるハイキングコースが整備されているが、長嶋と堀内はそんなレベルの道は基本的に歩かない。中級以上のルートも避ける。むしろルートにしかなっていないようなところ、おそらくは獣しか通っていないかのような道なき道を歩く。
 場合によっては道というよりも木々が斜めになっている斜面に高々と伸びているところ。どう見ても道も何もないようなところを歩くのだ。そのため3000メートル級の登山で使うような登山道具は、ばっちり備えていた。

「しかしホントかあれ?」我に戻った堀内は、長嶋の指さした方角を再度見る。「まさか?でもどう見てもあれは虎にしか...…」言いながら今度は長嶋の声が固まった。
「動物園から逃げたのか?」堀内は一瞬そう考えてみる。だが、しばらくしてそれは間違いであることに気づく。なぜならばまずこの近くには動物園はない。それにもし動物が逃げたとすれば、大々的なニュースになっているであろう。山の雰囲気も立ち入り禁止とかになっているはずだ。だが堀内が、今朝出発前にニュースを確認したがそのようなものはない。それは長嶋も同じでニュースなど知らないという。また普通にこうやって登山ができているから、そもそもそのような事件が起こっているとは思えない。

「このまま静かに通り過ぎるしかないな」堀内はそう言いながら、虎からの距離を保ちながらその場を避けようとする。「起きていないか、あいつ」「おい!声を出すな」堀内はとっさに長嶋を窘めた。
「ごめん」長嶋は小声で謝ったが、気になるのか虎の方を見つめる。虎は幸いにも堀内や長嶋に気づいていないのか、反対側を静かに見つめていた。
「だから、おまえじっと見つづけるな。視線がわかったらまずいぞ」ささやくような小声を出す堀内。長嶋は視線を変えて、堀内の背中を見ながら進む。

 登山では想定外の状況は当然起きうること。だからいろんな想定外の状況に備えるのも日々の訓練である。だがまさか猛獣の虎が山の中にいるなど想定外の中の想定外。それでも3000メートル級の山を何度もチャレンジしているふたりは冷静さを保ち続けていた。「あいつはクマと思えばいい。それしかない」先頭を歩く堀内はそう自分自身に言い聞かせながら、虎の横を過ぎていく。最接近した時の距離は10~20メートルくらいだろうか?間に茂みがあるためか、相手は気づいていない。

クマに遭遇して逃げる訓練をしているふたりは、茂みを極力音を立てずに静かに離れていくしかなかった。相手は幸いにも気づいていない。だがこの距離でもし気づかれ、いきなり突進するように襲ってきたら、さすがにひとたまりもないのだ。

「気づかれないように」堀内は心臓の鼓動が高鳴っているのが見える。脈拍が耳の奥で鳴り響く。とはいえ今が最も危険なとき、足をゆっくりとできるだけ足物の草木が衝撃で鳴る音を出さないようにする。息を凝らしながらゆっくりとすり足で進むふたり。後ろからついてくる長嶋も額から汗がにじみ出る。

「あ、あそこに岩が」堀内は前方に大きな岩を発見した。その高さはおそらく2メートル以上はある。ふたりがあの岩に隠れると、とりあえず虎に気づかれることはないだろう。
「あと少し、落ち着こう」堀内は再び自分に言い聞かせる。後ろからついていく長嶋も同様に、ときおり虎の動きを見ながらゆっくりと前進。

「ふう、とりあえず隠れることができた」ようやく大きな岩の陰に隠れたふたり。「しかし、なんでいるんだろう」長嶋は腕を組んで首をかしげる。
「さあな」堀内はカメラを取り出した。岩からは50メートルくらいの距離にいる虎をひそかに撮影。幸いなことに、このカメラはシャッター音が鳴らない。
「よし、今日は予定を変えていったん下山しよう。それからこの写真を警察に届けたほうがよさそうだ」

 岩の陰で、しばらく休憩していたふたりは下山を決意。いつも登っている山だから大体の位置関係、場所はわかる。岩陰からもう一度虎を見た。虎は相変わらず遠くを見つめているようで動かない。
 ふたりは虎から離れるように下山をする。
「ここまでくれば大丈夫だろう」ようやく警戒態勢を解除した堀内は、ゆっくりと道なき道を歩く。とはいえ15分もすれば、ハイキングコースに出た。あとは道標に従えば、自動的に下山できる。

「なぜか虎が山の中にいました」堀内は先ほど撮影した画像を警察に見せる。「ふむ、わかりました。大体の位置は、えっと、あ、そうですか、はい、では早速調査します」と、警察はすぐに関係各所に連絡。
 しばらくしてこの山に登ることが一時閉鎖されると、猟銃を持った人と応援の警察官が山の中に入っていった。

「僕たちはここにいたほうが」長嶋は警察官に言うと「いえ、別に大丈夫です。ただ何かあったらすぐに連絡するかもしれませんので、念のため連絡先を」こうして代表して堀内が警察官に連絡先を教えるとふたりはそのまま街に帰って行った。
 
 数時間後、堀内の電話に警察官から連絡があったが、結局山には虎は山の中には逃げ込んでいなかったいう。「気のせいだったのかな」堀内は電話を切ると考えこんだ。


 翌日、堀内と長嶋が登った山であるものが発見されたというニュースが流れた。それは虎のはく製が見つかったという。それは違法売買されていた虎のはく製の一部だとわかる。さらに数日後に売買をしていた業者が特定されて捕まった。
「あれ剥製だったのか...…」そのニュースを知った堀内は、長嶋の顔を思い浮かべながら思わず笑いが込み上げた。





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