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歴史小説「ふたりのグエン」第1話 誕生

1762年、日本では徳川幕府10代将軍家治の治世で、ちょうど田沼意次が実権を握っていた時代。
はるか東南アジアのインドシナ半島(現在のベトナム)中南部には、広南という国があった。

首都は「富春都城」現在の中部地域にあるフエと呼ばれる地。この場所に国の基礎を作った阮潢(グエン・ホアン)という人物が入城してから、国の都として発展していった。

ちなみにこの時代は、中国文化の影響で、漢字が使用されている。

そしてこの年、王子の阮福㫻(グエン・フック・ルァン)にひとりの子供が生まれた。この子供の名前は、阮福暎(グエン・フック・アイン)で、後に彼が阮朝というベトナム統一王朝を築くことになる。

当時の広南国の王は、ルアンの父・阮福濶(グエン・フック・コアット)。

「父上、私の3番目の子です」
ルァンは、生まれたばかりの子アインを、父の王コアットに見せに来た。
「3番目の子じゃな。おう、これはいい顔をしているな。わしはこの子が将来この国をしっかりと治めてくれる気がするぞ」
「この名前をアインにしようかと考えておりますが、如何でしょう」
「『グエン・フック・アイン』か、それでよい。この子はアインじゃ」
父王は誕生したばかりで、眠そうな表情をしている孫をうれしそうに見つめていた。

広南国を建国した阮(グエン)一族は、元々北部にある後黎(レ)朝という王朝の有力家臣であった。しかし国家のトップに君臨する黎皇帝は今や名ばかりで、実質的に権力を握っているのは、家臣の鄭(テイ)という一族。

その鄭一族から距離を置くように独立していたのが、阮氏が率いる広南国であった。もともと黎朝の有力家臣で国の南側に自分の広大な領土を持っていた。
そこからグエン・ホアンは、黎朝から独立する方向に動きだし、南に勢力を広げていく。あるタイミングで納税を拒否し独立を宣言。それから鄭氏からの攻撃を何度か受けたものの、それをしのいで完全に独立した。

「わしは、プレイノコール(ホーチミン)やメコン川のデルタ地帯まで国の領土を広げることができた。わしはもう年だが、この後ルアンが継ぎ、そしてアインが継ぐ。この子の時代にはさらに広い土地が手に入るかもしれん」

「父上、何を弱気なことを! まだまだお元気です。父上のお力で隣のカンボジア王国を事実上傘下に収めました。次はその隣にあるシャム(タイ・アユタヤ朝)との決戦も近いではありませんか」

広南国は数代かけて南に進出し、現在のベトナム南部にどんどん領土を広げっていった。かつて中南部にはチャンパという長き渡り存在していた国があった。
歴代ベトナム王朝としのぎを削ったライバル国であったが、すでに力なく、ついにこれを滅ぼした。

そいて現国王コアットの時代になると、南部のカンボジア(クメール)王国の支配地域であったメコンデルタ地域にまで勢力を伸ばした。それが今のベトナムの領土とほぼ同じである。

ルアンの語り口を心地よく聞いていたコアットは、ご機嫌の表情でアインを抱きながら、そばに控える重臣のトルーオン・フック・ローンに声を掛けた。
「トルーオン。わしの後は、ルアンに王位を継がせることが決まっておるが、その後できればこのアインに継がせたいが、お前はどう思う」

「仰せのとおり、それがよろしいかと存じます」
トルーオンはコアットの信頼が厚い。だが彼はその威光を利用して政治の実権を握りつつあった。そのことを知っているルアンはトルーオンのことが嫌いであるが、父の信頼が高い以上、たとえ子と言えどもその話ができない。

トルーオンは王であるコアットには従うものの、王子のルアンには慇懃(いんぎん)な態度で接していた。

「うん、流石はトルーオン。お前の力があればこそ、わしはカンボジアの王も事実上支配下に収めた。その次は西にあるシャムも手に入れたいもの。わしは老いてしまい、あと何年生きれるのやらわからぬ。お前にはもっと頑張ってもらわねばならぬ。だからルアンとこのアインを頼んだぞ」

「承知しております」
とやや低く唸るような声で答えると、その場を静かに去るトルーオン。しかしその際に鋭い眼光をルアンに対して送る。それは明らかに敵意むき出しで野心に満ちたもの。ルアンは恐怖のあまり思わず目をそらした。

ーーー

広南国は急激に領土を広げ、カンボジアを巡っては、その西にあるシャムのアユタヤ王朝とも主導権争いを行って何度も戦った。それに勝利しカンボジアの領土のいくつかを奪い取っていた。

しかしこの拡張戦略は、度重なる兵役と重税を庶民たちに課す結果となり、彼らの不満の下となっていた。

ーーー

ちょうどそのころ、富春都城の南、現在のベトナム・ビンディン省の省都クイニョンの近くにある、西山(タイソン)地域にある村では、王族と同じ阮(グエン)を名乗る3兄弟が住んでいた。
この苗字は日本で言う、佐藤や鈴木のように良くある名称なので、それは珍しくない。

だがこの兄弟は後に国家に対して反乱を起こし、それを滅ぼした後自らが一時的にこの国を支配することになるが、それは少し後の話。

「ル、フエがどこ行ったか知らんか?」
この地域で港に到着する物資を山に運ぶ交易を商いとしていた、3兄弟の長男・阮文岳(グエン・ヴァン・ニャク)。
次男の阮文侶(グエン・ヴァン・ル)に、三男の阮文恵(グエン・ヴァン・フエ)の居場所を聞いた。

「兄貴、フエは川の方に行ったんじゃないか? 確か棒を手にしていたぞ」「またあいつ仕事の手伝いをさぼって武芸の訓練か! しょうがないやつだ。ちょっとあいつ連れて帰ってくる」
ニャクは、フエのいる川の方に向かった。

フエはまだ10歳の子供であるが、小さいときから武将を夢見ていた。当時の広南国は戦が多かったので、人々は頻繁に召集がかけられて兵隊となって戦いに向かうのが日常的であった。
そのときに来る武将の勇ましいすがたを幼心に見ていたフエは、彼らへの強いあこがれを持っていた。

暇さえあれば棒をふるって、独学で武芸を極めようとしているフエは、今日も額に汗をかきながら何度も棒を上下左右に力強く振っていた。

「フェ、また訓練か」
「兄ちゃん、僕はいつもいうようにいつか武将になる。王様の軍隊に入れてもらって、はるか遠いシャムの国を攻め落として出世するんだ」

「まあ、身体を鍛えるのはいいが、ちゃんと交易の仕事も覚えてくれよ。ルはもうひとりで全部できるのに、お前はまだ半人前だぞ」

「わかってるけど、僕はル兄さんと違ってああいう仕事は嫌いだ。重たい荷物を運ぶだけで面白くない。僕はもっと強くなって武将になれば、もっと生活が楽になる」

「フエ、重い荷物を運ぶと足腰が鍛えられる。武将になるならそれも大事だぞ」
「わかってるよ。だけどやっぱり相手を倒すためには」
と、会話をしながらも棒を振り続ける姿勢は変えない。

ニャクは、目の前にちょうど手頃の棒が落ちているのを見つけた。

それを拾うと、
「しょうがない、じゃあお前の腕前を見せてもらおうか」と棒をフエの前に突き出した。

「兄ちゃん、容赦しないぞ」と思いっきりフエが突っ込んできた。
フエが鋭く棒を振り回していく、それを棒でぶつけながら交わしていくニャク。
「おお、みるみる強くなるなフエ。将来おまえは本当に有能な武将になりそうだ。だが俺もまだ負けんぞ」

と、真剣に戦う兄と弟。結局このときはお互いが疲れるまでやりつづけ、ほぼ互角の結果に終わった。

「おまえ... ... みるみるうちに強くなっているな」と、兄は肩で息をする。
「ま・毎日鍛えているからね」と、弟も息が荒い。

「でも、ただ強いだけでは武将にはなれんな」
「なんで?」
兄・ニャクの一言に不思議そうな表情をする弟・グエン。

「武将というのは、部下がいてグループで戦うもの。だから強いだけでなく、作戦を考えて行動する必要があるんだ」
「作戦!」

「そう、例えば相手の軍勢が自分よりも数倍多い場合、いくら強くてもそのまま戦えば、やがて疲れてしまい負ける可能性が高い」
ニャクは、額の汗を拭き取る。その横でグエンは真剣なまなざしでニャクの話にうなづく
「しかし作戦を考えてみるんだ。例えば相手を混乱させることができれば、少人数でも倒すことができる。過去の戦いでは、そういうことはよくあるんだ」
「うん、作戦か」

ますます真剣になるフエを見て口元が緩むニャク。
「そうだ、交易で海から運ばれる品を手に入れるときにそういう書物があれば、手に入れてあげよう。フエは一度それを読みなさい。そうすればいずれ武将になったときに必ず役に立つ」

「わかった。兄ちゃん頑張るよ」

「でも、交易もちゃんと手伝ってくれよ」
「はい!」
間もなく夕暮れが迫る空の下、フエのひときわ大きな声が周辺に響くのだった。

ーーー

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