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007.四十肩、楽観視は危険。

10代の頃、「シジュウ肩」って言葉は耳にしたことはあるのですが、「実際になんだろ???」程度で調べることもなく過ごしてましたが・・・

今年になって自分が経験しようやくわかりました。楽観視は危険です。

「シジュウ肩」って「四十肩」って書くんですよ。まずそこからビックリ。

「四十肩」とは「40代で起こる原因不明の肩関節周囲炎」です。

「五十肩」も同じで「50代で起こる原因不明の肩関節周囲炎」。

この病気は、現在では20代でも30代でも起こりうる病気で、昔、患者の多くが40代50代だったことからこの通称が生まれたみたいです。

現在でも病気のメカニズムが完全に解明されているわけではないようですが昔に比べたら詳しいことが分かってきており発症後の対処法も確立されているとか。

発症前の回避策やどういう人が発症しやすいとかはまだわかっていないようですよ。

私の場合、痛みで寝れない状態になり病院にかかりました。治療のおかげで数か月前に比べたら痛みがだいぶ和らぎ改善してますが、時折、痛みがでますし、肩の可動範囲もまだ狭いので現在も治療中です。

経緯をヒトミンスキー(奥さん)が四コマ漫画にしてくれました。

四十肩_四コマ

配信コンサート見てて手があがったというのは、テンションあがってますからね。。。最近、配信ライブを立て続けに観てまして、年内にLIVEまとめ記事投稿しようと思っています。

「好きは身を助く」は私の中で確固たるものだったりします。

3月頃、マウスの置く位置で筋肉痛になるとは思わずでそっから違和感が発生し、筋肉が痛いのか骨が痛いのかわからなかったので病院行ってみるかなーと。※普段から「君の骨は普通の人の骨とは違うので何かあったらとにかく病院へ」といろんな医師から言われています。

そんな状況だったのに、COVID-19の影響に伴い4月に緊急事態宣言がでて、「行ってよいのか?どうなん?」と。。。いつのまにか数か月たつわけでありまして。。。

たぶん、「病院行きたいんだけど行って良いのかわからない」という思いをした方、結構いらっしゃるのでは?

その間にマウスを通常形状のものからエルゴノミクスマウス(人間工学に基づいた形状のマウス)に変更しています。腱鞘炎ではないのですが、手の負担を軽減したいと思っていたのでこのタイミングで変えました。このタイプは大きいサイズが多いので、私のような小さな手に合うものを探すのに時間がかかりました。

7月、痛みがマックス。肩があがるあがらないレベルを通り越し寝るときに肩の下あたりにクッションいれないと痛くて寝れない、クシャミしたら体に伝わる振動で肩に激痛、、、

やっとの思いで病院へ。医師に「もっと早くこれたらよかったのに」と。。。何の病気も早期対応が大事で早めに見つけて治療すれば短い期間で済みますが、対応が遅ければ遅いほど治療期間が長引きます。

いつもなら違和感感じたらすぐ病院行く人なのですが今回ばかりはそうはいきませんでした。治療のおかげで痛み和らぎ今は毎日リハビリ&ストレッチ。たまに通院という感じです。この状況がどれくらい続くのかは肩次第ですが、「人生は40歳過ぎてからが長い」ので疎かにしてられないなと感じています。

数年前、大腿骨骨折から復帰したとき、リハビリは地味に継続してやっと効果がでるものと体験済なので間違いないと思います。プロスポーツ選手やプロボディービルダーじゃないけど、どれだけ自分と向き合うかがカギです。

結局、できるだけ健康が一番です。気を付けていても、病気になってしまう時はなってしまいます。抱えきれない情報あつめるとストレスになってしまいますし、健康を気にし過ぎて逆に知らず知らずのうちにそれが病気のキッカケとなっていることもあるかもです。ネットや本で得た情報は知識であって、それがいざ自分の身に起こったとき知識を対処に変換することはなかなか難しいです。

何事もほどほどに。自分の過ごしやすい生活が理想ですね。

もし何かのキッカケでリハビリをやらなくちゃいけなくなったら、地味にやるしかないです。

医師や理学療法士&作業療法士は経験と知識をつかい治すためのアドバイスしてくれる強い味方です。彼らが治す魔法をもってるとしたら治療行為はもちろん投げかけてくれる言葉だったり笑顔もその1つかもしれません。

彼らは褒め上手なので素直に乗っかって、「俺できるやん。すごいじゃん」を重ねていくのもありなのかなって。

前回の記事ではないですが、起こってしまったことを嘆くのは嘆いていいので、その後、これからの目標みつけてそこに意識も行動も向かっていけばいいのかなって。

人間は自分自身が経験して理解し自分というフィルタを通して自分を強くしていくことが山ほどあります。人生、経験してなんぼです。「若い時は苦労したほうがいい」という言葉はそういう意味かもしれませんね。

現実に非生産・非効率な社会の仕組みもあり「しなくていい苦労」もあると思いますが、全てを一概にまとめるものではないと私は思います。

私は特有の後遺症(※過去記事参照)と歩む人生ですが、四十肩になって、「やっと普通の人と同じ病気になった」事が不思議と安心感を抱くことになりました。

人間のないものねだりというものは不思議ですね。


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