父の友人とデートした話
この記事の少し続きの話になります。
私には父と同い年の友人であるYさんという「おじさん」がいる。
今回の話は、その「Yさんと私がデートをした時」の話を書こうと思っている。
どういうきっかけかはっきりとは忘れてしまったが、あれは確かまだ感染症が流行する少し前。
その年は、私の住んでいる県がめずらしく大きな台風に見舞われた年だった。私の自宅は幸いにして大きな損傷は見られなかったが、近隣では家の屋根瓦が飛んでいってしまったり、山地では木が倒壊したり、農家の方のビニールハウスの骨が曲がった光景を目の当たりにした。普段見慣れている街が大きく様変わりしてしまって、倒壊している場所を見るたびに胸が痛んだ。停電や断水も長く続いた秋がやっと過ぎ去った頃だったと思う。
私はYさんとメールのやり取りをしていた。
父に「Yさんの実家が台風の被害が大きくて大変なようだよ」という話を聞いていたので、心配した私は父にYさんのメールアドレスを教えてもらってメールをしたのがおそらくきっかけだったと思う。
私たちがこのようにやり取りするのは久しぶりであった。
というか、思い起こせば、彼とのやり取りはいつも私の両親や妹たちがいる中で行われていた。一対一のやり取りというのは、趣きが随分違うなと感じた。私がYさんの家に預けられて遊んでいた幼少の時も一対一で話していたが、あの時とは違ってもう私も立派な大人なのだ。
やり取りする中で、近況から雑談めいたものへと会話の内容が変化してきた。お互いの共通する話題は音楽や映画なのだが、今回は映画の話になった。
私は台風や家庭の事で落ち込んでいるYさんを勇気づけたくて、楽しい提案をすることにした。
それは映画館に映画を一緒に観に行こうというものであった。
映画は私が観に行きたかったエルトン・ジョンの「ロケットマン」でも良いか彼に尋ねてみた。
「え?いいね~。俺もそれ観たかったんだよ。ボヘミアンラプソディもこの前観て、すごく感動したんだよね。.......でも○○はちゃんと旦那さんに聞いてみた方がいいよ。」
それを聞いてふと気づいた。
私はもう彼の小さな少女ではないのだ。
誰かと婚姻関係を結んだ人の奥さんだ。
そして彼も素敵な奥さんがいて立派に成人しているお子さんたちもいる。
「わかりました。夫に聞いて了承を得られたらまたご連絡します。」と返事をしてその日は終わりとした。
後日、夫に話すと、あっさりと承諾してくれた。
私は念のため父親にも話した。
「ああ、そうなの?なんだかおもしろいことになったね。気をつけて行ってきてね。」と電話口で話した。
そして父は続けて言った。
「Yはもう車で高速道路を運転できないから、都内の映画館だったらどうやって行くか相談した方がいいよ。」
へ?
どういうことだろう?
彼は若い頃、高速道路にのって颯爽とロードスターでやってきてくれたじゃないか。
私は最初聞き間違いかと思ったが、事実そうであった。
彼はもう近隣の市以外は、ほぼ車を運転することをやめてしまっていた。
その事実は私が尋ねる前に、彼が自ら話し始めた。しかし、その理由について何となくお茶を濁すというか、話したくないような雰囲気を感じたので、私はあえて詳しく聞かずに、当日の待ち合わせの時間と場所を確認し合った。
待ち合わせは私の実家の駐車場にした。
定刻通り現れた彼は、昔と同じくしゃっとした笑顔を見せた。
しかし、そんなYさんの笑顔を見て私は「やっぱり少し元気がないな」と感じた。
そして彼が重ねてきた年月を、彼の見た目から私は感じとっていた。目尻のしわは増えて、体型もシュッとしたスマートさはなく、中年男性特有のたるみが散見された。髪の毛も年齢の割には黒いが、白髪もちらほら見えていた。
きっと彼から見た私も、かなり年を取っていて、感じる気持ちがあるのだろうなぁと反対に思っていた。
「○○の車で今日は申し訳ないけど、運転よろしくね。」
そう。
結局私の車で私が運転して都内に向かうことになっていた。
私もその頃は、勉強会へ月2回都内へ車で行くことがあったので、比較的その道は慣れていたのだ。
けれども、私は少し残念であった。大好きだったYさんはもう私を乗せてロードスターで運転することもこの先ないのだ。
しかしそんな事は言ってられない。腹をくくって....そして私の目的はYさんが少しでも楽しく過ごしてくれる事、ただそれだけだと念じながら車を走らせた。
道中でYさんはたくさん話をしてくれた。実家の修理のこと。弟さんが病気になって、心配であること。お母さんが年をとって面倒をみることが多くなったこと。自分も年をとって健康診断にいくつかひっかかるようになったこと。
ゆっくりと悩みながら車のことについても話しはじめた。
「俺、なんで高速道路に乗らなくなったかというとね、数年前に事故をやってるの。」
「もう死んじゃうかと思った。もうこれで終わりだ!って。でも助かってさ。それ以来運転できないんだよ、高速道路は。あの時のこわさが浮かんできちゃうんだよね。情けなくてごめんね。」
苦笑しながら彼は話す。横顔におびえたような不安な表情が混じる。きっとその時のことを話すこと自体もこわいのだと思った。
私は彼が運転しない理由が痛いほど伝わってきた。そして、より一層今の運転に注意して安全に移動するように心がけようと胸に誓っていた。
車は無事に目的地である映画館のある商業施設に着き、私たちは映画を鑑賞した。
そのあとはレストランで遅い昼食を取った。
お互いに映画の感想を述べた。それは楽しいひとときだった。
私は....彼は歳を取ったがやはり彼であるなと思っていた。
屈託なく感想を述べる。
「いや、ゲイの話ってわかってるんだよ。そういうことがあるのはわかってる。でも、男性同士のああいうシーンって俺らの年代はなんか抵抗感が少しあるっていうかショッキングだよね。最近の若い人はそのあたりは垣根がなくなってきてるよね。いいと思う。」と言ってはにかむ。自分の正直な気持ちを伝えた上で、自分の年代の価値観を押し付けないところに好感が持てるなと思った。彼は昔から上だの下だの関係なく相手に接する。それは私が幼かった時もそうだった。
「エルトン・ジョンは俺らにとっての青春なんだよね。特に今回は自分の大好きな歌。Goodbye Yellow Brick Road
がああいう風に使われていたから感慨深かったよ。」
バーニーとのこのシーンは胸が苦しくなった。愛しい人が離れて行ってしまう、わかってくれない気持ち。エルトンジョンはまた孤独に陥ってしまう。彼は有名になるにつれて孤独になる。麻薬と酒に溺れていく。
そして、私もたくさんの話を彼にした。私の夫も大病をして大変な時期があったこと。私を救ってくれるのはいつでも音楽や映画であること。私は両親に感謝していること。仕事で悩んでいて今の職場を辞めようとしていること。
彼は否定もせずにやさしく聞いてくれた。私たちは年月を経て、己の肉体も精神も環境も変化しすぎるくらい変化した。
でも、変わっていなかった。
「〇〇はたくさん頑張ってるんだなって思ったよ。今日は不思議な一日だった。まさか〇〇とデートするなんて思いもよらなかった。でも、おかげさまで元気が出たよ。
そして、俺はね、いつでもあの頃も思い出すんだ。〇〇が俺のところへ来てくれてさ。とても懐いてくれてかわいくてさ。今はこんなに素敵な奥様になっちゃったけど....でも俺の中では変わらないんだ。」
私も変わらないと思った。
年をとって、今こうして会って、また変わらぬように笑顔で話せること。
当たり前のようだが当たり前ではない。
そして、今だからこそわかることもある。わかりあえることもある。
年を取ることって悪くないなと思った。
思い出が多重になって、色が増えて、深みが出ることは、幸せなことだと思った。全ては続いているんだなと感じた。
私たちは次の映画を約束して別れた。
しかし、世間は感染症が流行し始め、この時の約束は果たせないまま、月日は流れている。
連絡は取ろうと思えば取れるのだと思う。
けれどもいいのだ。きっと事が運ぶ時は運ぶし、運ばない時は運ばない。
あれから私は
Goodbye Yellow Brick Road
を流すたびに胸があたたかくなるのだ。
あの時一緒に歩いた景色を生涯忘れることはないと思う。
私も自分の黄色いレンガ路に別れを告げていつか戻る日が来るのだろう。
先ゆく彼が手放したものをひとつひとつ感じながら、共にレンガ路の向こう側を想像して歩んでいきたいと思う。
それはかつてエルトンジョンが気づいたように、決して孤独な道ではないはずだから。
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