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私と夫の無痛分娩体験記

「俺より先に死なないでね」
私が初めて全身麻酔を打ったとき(入院して親知らずを4本いっぺんに抜いたときだ)、夫は確かそう言った。今回硬膜外麻酔を打つときは、さすがに言わなかったけど。

"避けられる痛みなら避けるに越したことはない"、という意見で一致し、我が家は無痛分娩でのお産を選択した。

しかし私のまわりでは無痛分娩で出産した友人はまだおらず、痛みを和らげることができると知っていたくらい。

調べてみると、日本では、無痛分娩でのお産は2016年時点で6.1%、だがフランスで65%と日本の10倍以上!厚生労働省の資料がこれしかなかったけれど、今ではフランスでの普及率はさらに上がっているし、世界中で広まっているらしい。

病院の先生からは、「麻酔で陣痛の痛みを和らげ、分娩する方法。陣痛の痛みの緩和するという意味で、この病院では和痛分娩(和らげる、の和)と言っている。無痛分娩にはいくつか種類があるけれど、この病院では最も一般的な、硬膜外麻酔を使う方法をとる」と説明された。

硬膜外麻酔というのは、脊髄近くの「硬膜外腔(こうまくがいくう)」にカテーテルを挿入して、麻酔薬を入れることらしい。この硬膜外腔にカテーテルを指すのは、麻酔科医の手の感覚が頼り。もし、近くにあるくも膜下に誤注入すると、呼吸停止のリスクなどがある。誤って血管に刺してもまずい。最悪死に至るケースもあるそうだが、先生はそうならないためにどうするか、事細かに説明してくれた。

幸いその病院は、冒頭の言葉を放ったのと同じ病院。あのとき私は無事4本の歯を抜き、親知らずの抜歯後とは思えない痛みの少なさに感動したっけ。

「この病院の麻酔科の先生は、腕がいいから大丈夫!」
そんなゆるぎない確信をもって出産する病院を決めた。

家からも駅からも近かったことも大きかった。私の住むまちで人気の産婦人科は車がないと行けないような場所にあり、しかも(確か)妊娠20週までに初診に行かなければならなかった。さらにこの大学病院なら妊娠30週までに来れば出産できる。平日の診療時間は早めに終了してしまうので、夜遅くまでやっているクリニックで妊婦検診を受け続けられることも決め手になった。

そして、出産前日。
予定日より1週間以上早かったものの、微妙に出血。夫が早期胎盤剥離を心配しだした。「お子には悪いけど、(私)さんが一番、子が二番だから」と言って私の体を心配してくれる。後にも先にもあんなに愛情を感じたことはなかった(まだ先はわからないか!)。

病院に電話して説明したところ、一旦様子を見ることに。間隔の定まらない前駆陣痛であまり眠れない夜を過ごし、朝を過ごし、そしてお昼前に陣痛の間隔が6分に!病院に電話し、タクシーを呼んで急いで病院に向かった。

そこからは、子宮口が5㎝開いているのを確認し、NST(ノンストレステスト)を受けて赤ちゃんが元気なことを確認し、夫が仕事を引き上げて合流し、陣痛室に入室。午後イチで背中から硬膜外麻酔を打って、子宮口は順調に1時間に1㎝開いていった。麻酔を打った後は少し陣痛の痛みが楽になった気がしたけれど、夕方に最後の1㎝が開かず、陣痛促進剤を入れてもらってからは痛かった!ずっと痛いわけではなく波があって、痛いときは生理痛の一番痛いときくらい。耐えられたが、私はおそらくひたすら「うー」とうなり声をあげていたと思う。

※自然分娩らしき妊婦さんが、翌日廊下を移動しながらめちゃくちゃ叫んでいるのを聞いて、地獄のような痛みであることを想像し、味わわずに済んでよかったと心底思った(出産時に赤ちゃんが下りてこないと、歩くことで促進することがあるらしい)。

そして夜19時、子宮口全開で分娩室へ。夫は手をにぎって汗をぬぐってくれた。いきんだのは確か4、5回。ちょっとだけ危険な状態とのことで、最後は赤ちゃんを吸引して出してもらい、無事出産できた。その日の日記には子について、「京都なすっぽい顔」と書いていたが、産道を通ってまだ形が細長かったため、正確には「米なす」だと後から気づいた。


ちなみに、無痛分娩は産後の回復が早いというのは本当だった。脅威の回復力だった。

出産翌日や翌々日はベッドから起き上がったり歩いたりするのも体が動かず、「これが"産後の体は交通事故を受けたのと同じ"ってやつか~」と思ったのに、なんと10日で床上げできた。交通事故は夢だったのかな?

ただあまりにも回復が早すぎたため、まだ動かない方がいいのではないかと思い、夫と母に甘えてずっと寝転んで過ごしていた。しかし身の回りの世話をしてくれていた母から、産後1ヶ月経つ前に「もうあんた動けるんだから実家に帰っていいよね?」と言われたときは、やりすぎたと思った。

その後、私よりも子を慈しむようになった夫と、生まれた子どもとの3人生活が始まり、現在に至る。総じて無痛(和痛)分娩はよかった。でももしまた機会があるなら、あの地獄の叫び声の真相を、知りたいような気もしている。


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