奇跡の人、ヘレンケラー的訓練〜ドラマから考える(2)
奈星丞持さんがドラマを通じて書いてくださった記事についての第2弾です。
奈星さんが中途失聴者側立場になって考えてくださったこの記事。
とても嬉しく思っています。
前回、その質問部分について私なりの回答の記事を書かせていただきました。
中途失聴者は声で話せなくなるのか、への見解です。
ただ私はドラマを見ていないので、私の経験に基づいた一例、意見です。
的外れかもしれません。ご了承ください。
今回も、私が通訳者人生や数百件の通訳活動の中で実際にあったことに基づいて書いています。
これが全てではないし、人それぞれあると思います。
違う人もいるということをインクルージョン、皆で受け入れていきたいです。
奈星さんの記事から
不安で話せなくなる人は多いか、不安はそれほど強いか。
直接理由を伺うことがなく事例からの明言はできませんが…
ただ声帯に異常がなければ、各々が自分に合った選択をしていると解釈しています。
ヘレンケラー的訓練
もう一つ。ヘレンケラー的トレーニングは有効か?
成長してからの失聴であれば訓練不要で話せると思います(前回参照)。
ヘレンケラーのように先生の喉に手を当てたり、紙などで息の使い方や舌の使い方を習う。ろう学校の中でよく行われる口話訓練です。
なので少し派生してこの訓練の有効性について、ろう者で考えたいと思います。
発語練習(口話訓練)の有効性
とても日本語の発語が上手な友人がいます。
聴者並ではないですが、新聞屋さんと普通にやり取りしていました。
そんな彼女が私に言ったことです。
ろう学校では重要度の高い口話
口話は日本語を習得し社会に出るのに役立つと考えられています。
これについて、日本語を身につけ弁護士となった田門浩さんは、このようにおっしゃっています。
それでも口話訓練はろう学校で何より重視されていますから、訓練のために授業も遅らせます。
小6でまだ小4の単元ということも。
更に公立のろう学校の教員は手話習得が必須ではないため、口話ができないと授業も分かりません。
※全教員が手話ができない訳ではありません
聴者に合わせられる=賢い
以前ご婦人たちとよくした会話です。
「あなたどんな人がタイプ?」
「うーん、賢い人?」
「じゃあ〇〇くんよ!だって口話できるから」
ろう学校では口話ができる人が先生の話を理解します。
それを同級生に教えるのです。
口話ができる人は先生と話ができますから褒められます。
こうしてろう学校では
口話ができる人=賢い
という方程式ができあがるのです。
音声語優位の考え方
ヘレンケラー的訓練が授業より優先されるほど重要で有効なのか。
一介の通訳者に結論は出せません。
ただ書記日本語の習得ではなぜダメなのか。
聴者に近づくよう
考える力を育む時間(授業)を減らし
聞こえず正解が分からないのに
運で音声語(口話)をろう者に身につけさせようとしている。
社会を変えるのではなく、ろう者側に併合を求める。
そんな気がしてしまうのです。
奇跡の人
口話の成功者はいます。私の身近にも。
ただその何十倍もできない人に会っています。
いわゆる“無理ゲー”なんです。
聞こえないのに口話ができるのは、
ヘレンケラー同様「奇跡の人」です。
その奇跡を全ての人には求められません。
それは
口で喋れる人が賢い人(社会的優位者)
喋れない人は社会に出られない人(社会不適合者)
という音声語優位の構図を作ることになりかねません。
実際私が数百人のろう者に会って感じたのは
自分で考える力が、社会で生きていく力になる。
自分で考えるには母語が必要だ。
音声語ができるかは関係ない。
ということ。
私の地域のろう団体の会長も、手話を教えてくれた先生も
弁護士の田門さんも
ヘレンケラー的訓練の落第者かもしれない。
けど母語できちんと考え発信する力を持っているのです。
口話教育の中でも自分で力を培った「奇跡の人」
そういった奇跡の人たちも損しない社会こそ
多様性の社会だと思っています。
長くなりました💦
またまた続きは後日に。
↓口話訓練でなく、手話で勉強と日本語を学べる私立のろう学校もあります。参考までに
第3弾、第4弾も書きました↓
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