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silent 偽善者〜奈々を悪者にしないで

「遊び道具みたいにされてて不快だっただけ。あの人たち手話に興味があるわけじゃない。良い人って思われたいだけ」
「善意は押し付けられたら偽善なの。」

下記記事より引用

silentで奈々(ろう者)と春尾さん(手話の先生)の出会いが描かれたようですね。

 引用したこの言葉キツめですね。
春尾さんが奈々から教わった手話を、他の学生に教えているところを奈々が見た時のセリフです。
これも以前の想への「プレゼントを使い回された気分」と同じ、嫉妬からきた言葉なのでは?と、上記記事のコメントにありました。

 私は恋愛感情に疎いので、同じ気持ちかは正直分かりません。
同じなのかもしれません。

 「せっかくやってくれているのに、奈々はわがまま自己中」で終わらせるのは簡単。
でも記事を読んで、手話通訳者である私なりに感じたことがあったので、書いてみることにしました。
確かに春尾さんに奈々はずいぶん高度なことを期待しているのかもしれません。
でも、奈々にもそれなりの思いがあるのではないか。
奈々視点で少し書いてみようと思います。

 そして書き途中でやっぱり映像見ようと思い、初めて『silent』をTVer.で見ることにしました。
初『silent』!
でもごめんなさい、恋愛系は苦手なので飛ばして、
奈々と春尾さんの部分だけ見ました。
正確ではないかもしれません。あくまでも考察です。

春尾さんはなぜ教えたの?

 私が上記記事を読んで最初に感じたことです。
学生に「教えてほしい」って言われたからかもしれません。
春尾さんが集めたのかもしれません。
でも私なりに奈々の気分で読んでいたので、詳細を知らない奈々と同じ状況で、その場面を知ることになります。

奈々はこう思ったかもしれないなと感じました。
「だってその人たち、ろう者と交流する気のない人じゃん」

奈々から見た学生

 「春尾さん手話できるんだ、すごい」
で春尾さんから教わる。
それは奈々から見たらどう映るのでしょうか。

 こう思うかもしれません。


 本当の手話を勉強したいなら、ろう者と交流したいなら、
ろう者と関わろうとするはず。
でも彼らは机上で聴者から手話を教わっている。
彼らにとって手話は勉強の道具。

更に私(奈々)を見て不思議がって、
「あっそうだ、/はじめまして/」(得意げ)
なんて、ろう者を手話の練習相手としか見ていない。

彼らはろう者やろう者の言葉に興味を持ったわけじゃない。
ただ“手話ができる”って聴者の仲間うちの話のネタにしただけ。
手話ができる私、ろう者助けている私優しい、スゴい
って思いたかっただけじゃん。



奈々から見た春尾さん

 春尾さんはノートテイクという偶然があったとしても、奈々との交流を目的として手話を勉強してきました。
奈々にとって恋愛云々はさておいても、“手話で話す私” を恐らく初めて(家族以外で)受け入れてくれた聴者でしょう。
私をそのまま理解してくれる人がいた、そう思ったのではないでしょうか。
きっとすごく嬉しかったはず。

 そんな彼がそのことに気がつかず、手話を聴者に教えています。
しかも彼らに私(奈々)が「手話覚えてくれてありがとう」って言うことを期待している。
私は頼んでいないのに…
彼の手話も私との交流のためじゃない。
少なくとも彼だけは、純粋に交流のために手話を身につけて欲しかった

期待していた分、落胆も大きかったのではないでしょうか。

すぐには理解し合えないすれ違い

 実際のところはわかりません。あくまでも私の考察です。
もしそうだったとしても、彼らが奈々の気持ちを理解できたか。
二十歳前後の子たちに、察することを期待する方が難しいでしょう。
でも、それは奈々だって同じこと。

 もしかしたら学生たちは、本当はろう者と交流したがっていたかもしれません。
 春尾さんだって自分の心持ちとしては、奈々と聴者との架け橋になるためだったのですから。
でも奈々だけに、自分の気持ちを押し殺して、相手を理解し察しろというのもおかしな話です。
真実は分からない中で、お互いの怒りどころを察することもできなかったのだろうと思います。

 奈々側の思いばかり書きましたが、正直春尾さん側の気持ちもよく分かります。
私は同じく手話を学んできた聴者ですから。


聴者(フクシ)の私

 かく言う私も、元々ずっと学生たちと同じでした。
私は手話の学校で、“フクシ” の人と先生から言われました。

 福祉系の人を揶揄した名称ではありません。寧ろ逆です。
自分が“やってあげている感” に浸っている、福祉をはき違えてしまった人のこと。

ろう者は社会(聴者)のルール知らないから教えてあげる
ろう者は分からないから、ろう者のために手話覚えてあげる
ろう者はかわいそうだから助けてあげる
やってる私、思いやりの人

 ろう者はそういった人を察知します。
私にはそんなつもりもなかったですし、“フクシ” の意味も分かりませんでした。
何が不満か分からず、言いがかりだとさえ思っていました。
でも今思えば確かに、そう捉えられても仕方なかったかもと思います。
無意識に自分の正義を押しつけて、文句言われて「なんで?やって(あげて)るのに」って思っていました。
完璧主義で型に嵌ることが正しいと考える、いわゆる優等生タイプが陥りがちだと思います。


今に影響する大事なすれ違い

 このすれ違いは、少なくとも春尾さんの将来には大きな意味のあるものだったと思います。
私にとってもです。
「ヘラヘラ生きてる聴者」だと自覚させられたこと。
それが何なのか理解したい、そして
「聴者とは分かり合えない」はずがない、とどこか答えを探しているからこそ、結局手話講師という道を選んだのかもしれません。
分からないことを投げ出さず、突き詰めた春尾さんはすごいと思います。

今社会に出て様々なことを知り、何か分かり合うものがあるといいですね。

最後に

 手話を学んでいる方は、自分が偽善者なのかも…と感じたり、分からなくなったりして自己嫌悪陥らないで欲しいなと思います。
奈々も若くて、春尾さんに期待をし過ぎた故の発言だと思います。
春尾さんは奈々を理解できなかった。
同じように、奈々も彼を理解できなかった。
どちらにも、それなりの思いや背景があっての発言。
どちらも責められるべきではないと思います。

 私は手話通訳者になるための訓練を受けました。
通訳はいかなる時も相手の背景や思いを汲まなければいけません。
そんな私が、学校の入試面接の時点で、“フクシの人” の印象を既に与えました。
それでも受け入れられ(入学でき)ました。
恐らく、いつか理解し変わっていくことを期待されたのだろうと思います。
そして徐々に、自分が常にマジョリティ(聴者側)の立場からモノを見がちだということには気づけるようになりました。

 このすれ違いは恋愛ドラマだから起こったことではないと思います。
実際にあちこちで起こっていること、私は通訳の立場で本当によく実感しています。

 相手には相手の思いがある。
今回ドラマでこういったことが発信されて “気づく、自分を見つめ直す” きっかけを提示して貰えたと思います。
すぐには理解できないこと。
春尾先生のように一歩踏み出して、少しずつ気づいて見つめ直していくことが大事なのだろうと思います。


P.S. 初『silent』で、
 ・会議や授業など人がいるから寝れない
  (通訳としていつも「私のこと気にせず寝てー」って思う)
 ・利き手確認する
あるあるだと思いました!




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