エンターテイメントというのは、人間に備わっている基本的な機能なのかもしれない。 僕の通っていた中学校は、比喩抜きで下界から隔絶された立地にある。 集落から、山道を30分登り続けると、急に視界が開けて、中学校が出現する。 まじで。 最寄りのコンビニまでは、徒歩で50分くらいかな? 貨幣が役に立たない秘境。それが中学校。 そんな中でも、中学生は暇と体力を持て余している。 この環境でできる楽しいことはないか。ワクワクすることはないか。と、探して回った結果。 バック転とバ
1990年代後半は、ストリートカルチャーが勃興した時期だった。 ジャパニーズヒップホップの黎明期であり、トリックをするためのスケートボードがムラスポで飛ぶように売れ、BMXが初めて輸入され、そして、ストリートダンスでクルクル回る若者がたくさん生まれた。 山岳地帯の集落にもその波は届くほどで、駅南の広場でスケボー。夏祭りにストリートダンス。 僕もBMXを乗り始めた。 DCの靴を履き、Dragon Ashを聴いて、ZOO YORKのスケボーに乗った。 ブータンのような峡谷
田舎である。 電車は1時間に一本。2両。 そんな環境から、京都の美大に行かせてもらえたのはありがたかった。 大学は最高だった。 高校はつまらなかった。 まず、選択肢が少なすぎる。 電車が1時間に一本しかないもので、通学できる高校に制限がありすぎる。 実質的に選べる高校は、アホな近所の高校か、電車で30分かけて通う普通の高校かの2択だった。 もうひとつ、反対側の電車に乗ると、漫画のような荒れた学校があるが、これはファンタジーの世界のため除外。 仕方なく、普通の高校
高校1年の最初のテストで、いきなり志望大学を書けと言われた。 知らんな。と、思った。 本当に、大学の名前を知らなかった。知るかよ。 さっき高校受験が終わったばかりなのに、次の試験のことなんて考えられるかよ。と、思った。 とても真っ当なことだと思う。 とりあえず、都道府県ごとの主要大学一覧表と、コード番号の書かれた紙を眺める。 どうしようかなと考えて、行ってみたい土地の大学を書くことにした。 まずは京都。 リストを見ると、京都の1番上には、京都大学とある。 そりゃ
モネ。クロード・モネ。 初めてモネを見たのは、六本木の森美術館オープニング企画「Happiness」だった。 正確には、たぶん、それ以前もモネを見たことはある。 だけど、モネをとんでもねえ作家として認識したのは、ハピネスが最初だった。 印象的なエスカレーターを登り、左手通路で荷物を預ける(当時はここにクロークがあった)。 入り口入ってすぐに、モネのスクエアな睡蓮。 あれはすごかった。 その後、モネはたくさん見ている。 ポーラも、直島も、MoMAも、オランジュリーも
高校生のときに、上野の森美術館でMoMA展を見た。 はるばるニューヨークから上野まで、たくさんの作品が運ばれてきていた。山奥に住んでいた僕も、はるばる上野まで駆けてきてみた。 その8年後、僕は、ニューヨークのホントのMoMAに行く。 高校生の頃は、マティスって誰なん?状態だったけど、20代半ばの僕は、美大を卒業し、どっぷり美術に浸かり、知識もそれなりに持っていた。 憧れと郷愁のMoMA。 もちろんすごい。 大感動だよ。 特に、MoMAのカンディンスキーって、なんであ
高校2年か3年か。そのくらいの時に、上野の森美術館でMoMA展をやるということを聞いた。 それはすごい!とは思わず、MoMAとはなんぞや?この、ポスターの、草原で踊っている裸の人々はなんぞや?と、思った。 でも、友達の前では「MoMAはすごい。見にいきたくて仕方ない」と、言ってみた。 なりゆき、行くことになった。 家族以外と行く美術館の最初。初めての大きな企画展。 牛飼いのトミザワと一緒に行った。 大変な混み様の中、生まれて初めて(たぶん)のゴッホ。マティス。セザ
いわゆる里山で育った。 オタマジャクシを取り、カエルの合唱を聴き、鈴虫の音色に囲まれ、雪が降るとあたりはシンっと静かになった。 野山と田んぼの畦道を駆け回った。 ただし、川で遊んだ記憶はほとんどない。 里山の風景として、夏になると子供が川で遊ぶ様子を思い描く人もいるかもしれないが、とんでもない。 川で遊ぶことはない。 危ないからね。 山の谷間を流れる川は、流量が少ない割に、とにかく急流。 そして、凍えるほど冷たい。 少し気を抜くと、あっさりと流される。 なにより
僕の育った集落は、風の谷と同じような条件にある。 急峻な山間の谷。山の斜面にへばりつくように、町が作られている。 家から中学校までは、ずっと山道。 さらにその先を登り続けていくと、たけやまというシンボリックな山が出てくる。 このたけやまが特徴的なのは、そのかたち。 「山」という漢字は、山の形からできたという話だけど、現実の山は、なかなかこんな形はしていない。 △や〰︎〰︎が多い。 でも、たけやまは「山」のかたちをしている。 センターにドンと頂があり、両サイドに少し低
生まれによって、山への興味が強い。 とはいえ、登山をしたいとはまったく思わない。 さんざっぱら登ってきたからね。 生涯の獲得標高差は、そこらの登山愛好家の比ではないと思う。 中学校の往復だけで、毎日1時間の山道だった。 山への興味は、壁と、成り立ちの2つ。 昔見た山は壁。 円錐形状のはずの山が、平面の歪な壁にしか見えなかった。 その先に、なにかがあることは、ファンタジーの世界。 山と山の間だけが、リアルな世界。あとは、夢の世界だった。 そんな山が、どうやってできるの
家から中学校までの道のりは、比喩なく登山だった。 30分ほど、車にすれ違うことなく、坂を登り続ける通学路。 中学校の周辺は、本当に何もない。 最寄りのコンビニまで1時間。 非行だってままならない。 不良たちは、部活をサボって山登りをする。 家に帰ることを、南下と呼んでいた。 事実そのままに。 当たり前のように、景色が美しい。 僕がこれまでに見た景色で、いつまでも色褪せずに心に残る名作が3つある。 ひとつは、父親が息を引き取った時に、病室の四角い窓から見えた夕景色
峡谷の町に生まれた。 山と山に挟まれた、谷間の集落で生まれ育った。 小さな山が連続し、薄い山脈をつくる。山脈と山脈の間にの谷には、急流の川が流れている。町の底に、川が流れているわけだ。 川に降りて、集落を見ると、まず、川の近くの貴重な平地に田んぼが集まっている。 少し先、平地の終わりに、駅や、スーパーマーケットがある。 そこから先は坂道。少し上がると、祖母の家がある。 もう少し上がると、小学校。そして、僕の家。 中学校は、そこからさらに30分ほど坂を登った先にある。