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「クリエイティブ脳」の創り方


創造の源泉は”表現欲求”である

人間には「表現欲求」というものがある。

感情や内面の世界観を表現したいという欲求のこと。

これが、創造の原動力。

お客様に好まれるかどうか、じゃない。

高値で売れるかどうか、じゃない。

ライバルに勝てるかどうか、じゃない。

あなたが創りたいと思うから、創る。

表現は、手段ではなく
それ自体が目的でありゴール地点。

子供の頃を思い出して欲しい。

お絵描きをした時、
それ自体が楽しくてやっていたはず。

レゴで遊んだ時、
それ自体が楽しくてやっていたはず。

子供の頃はみんながアーティスト脳を持っていた。

それなのに、現代を生きる大人は
「売る」ためにコンテンツを作り、
「勝つ」ために新商品を生み出している。

子どもは誰でも芸術家だ。
問題は大人になっても、芸術家でいられるかどうかだ。

パブロ・ピカソ

表現がお金儲けの単なる
手段に成り下がってしまっている。

もちろん、
資本主義を生きる
私たちにとってはそれも大事。

「お金なんて必要ない。慎ましく生きろ。」

なんて綺麗事を抜かすつもりはない。

お金はかなり大事だ。

ただ、起点となるスタート地点が違う。

「表現したい」から作る。

その結果として、
その作品に価値が宿り、
お金の流れが生まれる。

優れたアーティストは、
お客様のことを考えて
アート作品を生み出しているのではない。

そのアーティスト本人の
「価値観・世界観・人生観」を
表現すること自体が目的で、
その結果として多くの人の心を動かしている。

あなたは何を表現したいのか?

作品や商品、サービスを通じて、
あなたは社会に何を伝えたいのか?

この問いを持つことが、
アーティスト脳を作る最初の一歩だ。

”未完成のアイデア”を実行に移す勇気

あなたは「アイデア」というものを

「完璧な設計図が降りてきて、
進むべき道筋がはっきりとわかる」

みたいな風に捉えていないだろうか?

断言するがそれは幻想でしかない。

「完璧な設計図」など
一生降りてこない。

降りてくるのは「設計図のカケラ」だけ。

カケラと言っても、本当に小さな、
ただの紙くずのようなカケラだ。

ほとんどの人はそれをアイデアとも思わない。

そんなカケラこそがアイデアの正体だ。

そして、一旦降りてきた
「設計図のカケラ」を
まずは一旦作り始めてみないと、
次のカケラは降りてきてくれない。

だからまずは
「方向性は合っているんだけど、微妙だな…」
くらいのものを作るんだ。

最も良いアイデアは最初まずいアイデアに見えるものだ

ポール・グレアム

多くのクリエイターは
「未完成のアイデア」を保存するだけで、
それらを実行に移さない。

「あと少しピースが揃ったら実行に移そう」

といつまでも考えている。

そして
「ゴール地点まで見えているアイデア」
のみを実行に移す。

ゴール地点まで見えている
アイデアなど何の価値もない。

ゴール地点まで見えているということは、
他人でも真似できてしまうアイデアだ。

つまり、”ありきたり”ということ。

だから、独創的なものを作れないんだ。

あなたに必要なのは
「完璧なアイデア」なんかじゃない。

「未完成のアイデアを実行に移す勇気」と
「駄作を作る勇気」だ。

作品でも、商品でも、事業でも、
一発で完璧なものを作ろうとしないこと。

どんなアーティスティックな人間でも、
最初に生み出すことができるもののほとんどは駄作。

駄作というのは、
完璧な作品を作るための”試作”でしかない。

駄作と試作の山からしか”傑作”は生まれない。

多くの人は「アイデアがない…」とか
「作りたいものがわからない…」と嘆く。

でも根本的な問題は
「アイデアがない」んじゃなくて
イマイチなものを作る「勇気がない」だけ。

自分から生み出される駄作を愛そう。

そこから傑作は生まれる。

ミスや失敗の中にアイデアの種がある

ながれおとや

大抵のクリエイターの問題は
「勇気」で解決することがほとんど。

創造性とかアイデアとか
インスピレーションとか。

こんな目には見えない抽象的なものは、
スピリチュアル的で、
一部の天才にのみ与えられる
一種の特殊能力のようなものだと勘違いしている人が多い。

本来は全く違う。

何も作れない人は、
センスがないんじゃない。

”勇気”がないだけなんだ。

アイデアを待つ勇気を持とう。

未完成のアイデアを実行に移す勇気を持とう。

そして、駄作を作る勇気を持とう。

勇気を持つだけで、
あなたの創造性は解放される。

”制約”は創造のチャンス

これからあなたが作り上げる
コンセプトのヒントになるものは
「制約」である。

無限の予算と無限のリソースが渡されたら。

それは、
すべてが「有る」状態なので、
そこには創造の余地も
モチベーションも湧き出てこない。

「無い」からこそ、そこに
「何かを生み出そう」とする動機が生まれる。

「無い」という制約こそ創造の原動力だ。

制約は言い換えれば「制作条件」のこと。

もしあなたが何かを作るコンペに参加した時
「なんでもいいので自由に作ってください!」
と言われるのと
「テーマは〜で、〜を扱った作品にしてください!」
と言われるのとでは、どちらが前に進めるだろうか?

制約とはポジティブな強制力だ。

足枷ではない。

そして、アイデアの源なのだ。

制約があるからこそ
あなたの脳みそは動き始める。

だから、
斬新な作品を次々と生み出す人間は
「自由」よりも「制約」を好む。

「自由」とは、聞こえは良いが残酷だ。

制約を愛そう。

制約は創造のチャンスでしか無い。

制約があるからこそ、
あなたは「作りたいもの」が湧き上がってくるし、
「作るためのエネルギー」を手に入れることができる。

「削る」ことから始めなさい

「オリジナルなものを作ろう」とか
「差別化しよう」とか
「尖った作品を作ろう」と考えると、
多くの人は「何かを足さなければ…」と考える。

「今の自分にはまだ何かが足りない…」

そう考えて出来上がった作品に
派手な装飾を施したり、
奇抜なデザインにしてみたり、
変に捻ったり、逆張りしてみたり。

でも、
オリジナルなものを作るために必要なのは、
あれこれ手を加えて「足す」ことじゃない。

現代人には余計なものがあまりにも多すぎる。

SNSを見れば
役に立ちそうなノウハウが流れてくるし、
Googleを使えば
いつだってそれっぽい解決策が溢れている。

こんな時代では、
後から足すなんて誰でもできるのだから
「足して作ったもの」なんて
似たようなものになるに決まっている。

まずあなたがやるべきことは
「削る」ことだ。

言い換えれば、
「何を得るべきか?」と考えるのではなく
「何を手放すべきか?」を考えるということ。

ひたすらに余計なものを手放し、削っていくと、
そこにはあなたの純粋な「感性」や「価値観」だけが残る。

それは
あなたが小さい頃に無くしてしまった
”尖り”であり”センス”だ。

センスをさらに磨きかけることはできるが、
そこに優劣がない。

あるのはただの「違い」だけ。

この”尖り”をさらに鮮明に、
さらに鋭くするためだけに、
ここで初めて新しいものを「足す」ことを考えよう。

多くの人は
「人と違ったものを作ろう」とか
「唯一無二のものを作ろう」と
”差別化”をしようと躍起になるが、

本来は純粋なあなたの
センスや尖りを軸にすれば、
差別化は戦略としてあるのではなく、
戦略は自動発生的に”起こる”もの。

「差別化をする」のではなく
「差別化が起こる」という視点を持とう。

尖らせるのではない。

人間は誰しも最初は尖っている。

ただその尖りを見つけてあげれば良いだけなんだ。

創造の9割は”収集”である

創造というのは「生み出すこと」じゃない。

「組み合わせること」だ。

創造性というものは物事を結びつけることに過ぎない

スティーブ・ジョブズ

これは聞いたことがある人も多いと思う。

組み合わせるということは
「何か」と「何か」の掛け算だ。

でも
「ゴミ」と「ゴミ」の掛け算では
「ゴミ」しか生まれない。

要は、良い材料が必要ってこと。

どんなに一流の料理人でも、
肉が腐っていたりそもそも肉がなければ、
美味しいステーキを焼くことはできない。

でも逆に、
A5ランクの肉があれば、
素人が焼いても大抵は美味しいステーキになる。

料理も創造も材料が命だ。

では、材料はどうやって調達すれば良いのか?

そこで大事なのは”材料”を「盗む」という発想。

凡人は模倣し天才は盗む。

パブロ・ピカソ

オリジナリティとは何か?
バレない盗作である。

ウィリアム・ラルフ・イング

何かを”オリジナル”と呼ぶやつは、
十中八九、元ネタを知らないだけなんだ。

ジョナサン・レセム

私たちから取ってほしい。
まずは盗んでみてほしいんだ。
なぜなら、結局は盗みきれないからだ。
盗めるのは、私たちが与えたものだけだ。
君はそれを自分のスタイルに取り入れ、
自分のスタイルを見つけていく。
誰だって最初はそうだ。
そしていつか、誰かが君から盗む日が来る。

フランシス・フォード・コッポラ

「盗む」と言っても、
悪いことをするわけじゃない。

たった一人から全部を盗むと、
それはただの犯罪になる。

商工業の世界では誰もが盗む。
わたしもずいぶん盗んだものだ。
肝心なのは、いかに盗むかである。

トーマス・エジソン

ではいかにして”盗む”のか?

それは、”なるべく多くの人”から
「ピンときた要素」だけを盗むということ。

一人の作家から盗むと盗作だが、
たくさんの作家から盗むと研究になる。

ウィルソン・ミズナー

君がたった1人の影響しか受けていなければ、
君は「第2の○○」と呼ばれるだろう。
だが、100人から盗んでしまえば、
「君はオリジナルだ」と言われるのだ。

ゲイリー・パンター

たくさんの人から「なんかこれ好き」とか
「なんかピンとくる」と思えるような上質な材料を集めよう。

創造の9割は収集である。
というのが私の結論。

アーティストな人は、
意外とコレクターな人。

優れたアーティストは、
何かを作り上げる過程で
「材料集め」にそのほとんどの時間を要する。

そして、残り1割で
「自分だけの組み合わせ方」を披露する。

これが創造の全貌だ。

「正しいかどうか」ではなく「美しいかどうか」

人生は選択の連続。

あなたの未来は
”今この瞬間の選択”
の積み重ねで創り上げられる。

多くの人は
「正しいかどうか」「儲かるかどうか」
「効率的かどうか」「安全かどうか」
「人に好かれるかどうか」
こんな指標で物事を考える。

確かに、
法律があるから正しいかどうかも大事だし、
資本主義社会では儲かるかどうかも大切だ。

だけど、
そんなことはアーティスト脳を
手に入れるあなたのすることじゃない。

あなたは、これから人生における全て選択を
「美しいかどうか」で基準にして選ぶべきだ。

「美しいかどうか」というのは、
単なる外見的な美しさの話ではない。

「ピンとくる」とか「しっくりくる」とか
「なんか好き」とか「イケてる」とか。

こんな抽象的な感覚で構わない。

というか、
その曖昧な感覚を
大切にしてもらいたいんだ。

「正解」を求めてはいけない。

曖昧で抽象的で、目には見えない。

そんなあなただけの世界の見え方を軸にする。

世の中の正解に合わせるのではなく、
あなたの内側にある感性を軸にして、
あなたの作りたいものを作る。

私は対象を見えるようにではなく、
私が思うように描くのだ。

パブロ・ピカソ

便利なモノや役立つ情報が
溢れかえった現代では
「正しいこと」なんか何の価値もない。

なぜなら、
「正しいこと」はAIやGoogleに
聞いてしまえば事足りるから。

これからの時代で勝つ人間は、
自分自身の感性を確固たる軸として生き、
自分の世界観を創り上げる人間だ。

あなたはこれから、
たくさんの人に出会い、
たくさんの本を読み、
たくさんの投稿を目にして、
たくさんの体験をすることになる。

その中で「なんかピンとくる」とか
「なんか好き」という自分の内側から
湧き上がってくる”反応”を分析して、
それらをコツコツ集めていこう。

そして、あなたの価値観フィルターを通った
厳選された価値あるものだけで
あなたの作品、商品、人生を埋め尽くそう。

そして、
あなたの「美的感性」を軸にした
クリエイティブな人生を創っていこう。

お客様を切り捨てる覚悟を持つ

ビジネスマンや商売人は
「お客様」を基準に物事を考える。

「お客様のニーズは?」
「お客様の意見は?」
「お客様からの不満は?」
「お客様が求めていることは?」

こんな感じで
「お客様起点」の思考をするのが当たり前。

確かに、
お客様に価値を提供することは大事。

でも、このスタイルだといずれ限界が来る。

なぜなら、今の時代では
「お客様の要望に応えたモノ」
が溢れかえっているから。

簡単に言うと、
便利なものとか役立つものが
もう十分すぎるほどあり、
むしろ余っているということ。

そんな時代では
「自分にとって美しいモノを発信する」
ことが大事になってくる。

お客様にとって便利なものじゃない。

自分様にとって美しいものだ。

「お客様!何か必要なものはございますか?」
というスタンスではなく
「これが私たちの商品!これからはこれで決まり!」
というスタンスを持つんだ。

何が欲しいのかを聞き、それを与えるだけでは駄目なんだ。
出来上がった頃には、新しいものを欲しがるのだから。

スティーブ・ジョブズ

作品だろうと商品だろうと事業だろうと、
一貫して自分の感性を貫き通していると、
そこには世界観が生まれる。

世界観というのは、
作り手側の「モノの見方」や
「感性」が反映されたもの。

「あの作品には世界観があるなあ」
と感じる作品には、
作者自身のモノの見方や
独特な感性が反映されている。

その作品は決して、
私たちに売るために作られたものではなく、
作者自身の表現欲求からきた
純粋な感情が反映されたもの。

あなたにも、
そんな作品や商品を作ってほしい。

でも、そこには悪魔の囁きがある。

それは「お客様の声」だ。

「この商品の〜が無駄だと思います。」とか。

「この作品に〜を加えたほうが良いと思います。」とか。

もしこの意見が、
単純にあなたが見過ごしていたミスなら
ありがたくその意見を頂こう。

でも、もしその部分があなたにとっては
「美しい」とか「好き」と感じる部分なら、
それはお客様を切り捨てて構わない。

それは「取りこぼし」ではなく
あなたの世界観を守るための「選民」だ。

「お客様の意見」は時に自分の世界観を壊す。

「お客様のニーズ」を起点とするのではなく
「自分自身の表現欲求と美的感性」を確固たる軸にすること。

感動体験は”感動保存”から始まる

「人々を感動させるコンテンツを作りたい」

そう考えたことはないだろうか?

そんなあなたに
今日から実践できる習慣を教える。

それは「感動を保存する習慣」だ。

多くの人は感動体験を作るために、
極秘の設計図やノウハウを求める。

でも「感動を生む」のは
もっともっとシンプル。

最高な商品を使った時。

素晴らしい作品を見た時。

極上のサービスを受けた時。

自分の心が動かされた感動体験を
メモ帳かなんかに保存しておく。

そして、
なぜ自分の心が動いたのかを徹底的に分析する。

その時、
自分はどんな感情になり、
どう心が動かされたのか。
そしてそれはなぜなのか。

すると不思議なことに
作り手側に回った時にそれが再現できる。

他人を感動させようとするなら、まず自分が感動しなければならない。
そうでなければ、いかに巧みな作品でも決して生命ではない。

ジャン・フランソワ・ミレー

感動させる人も確かにえらいが、感動する心を持った人の方が、もっともっとすばらしい。

ひろはまかずとし

すべての開発は感動から始まる

池田敏雄

誰でも、日頃からいろいろなものを見て、聞いていますよね。それを「面白いな」と思ったときに、頭の中で付箋が貼られて記憶になる。すると、何かアイデアが必要になったときに「あれが使えるな」と反射的に思い出す。その瞬間の作業が発想なんだと思います

秋元康

「感動体験を作る能力」と
「感動体験を保存する習慣」は常にセット。

自分の感動なくして
人を感動させることなどできない。

心が動かされる体験や
コンテンツにたくさん触れること。

感動させる力=感動する力

これを覚えておこう。

不快感を受け入れる

創作の過程では、
死にたくなるような
不快感に襲われることがよくある。

まず、アイデアが湧かない時。

自分自身でも何を作りたいのかわからない。

自分が何を表現したいのかがわからない。

考えれば考えるほど
ありきたりなものに思えてきたり、
逆に独創的すぎて自分のアイデアに
気持ち悪いという感情が芽生える。

そんなときに限って
周りの人はやけに順調そうに見えて
とにかく焦る。

その次は、実行に移す前。

アイデアがまだ完璧ではない。

けど前に進まなければならない状態。

これ以上考えても意味がないと
半分わかっているのに、
どうしても手が付かない。

あと一つのピースが揃ったら始めよう。

そう自分に言い聞かせる。

頭ではわかっているのに
心がどうしてもは追いつかない。

そんな状態。

次は、作品が8割くらい完成した時。

これまで情熱とエネルギーに
満ちていた少し前の自分が
別人だったんじゃないかと思うほど、
今取り組んでいる作品がくだらなく、
みっともなく思えてくる。

そして、また不快感に襲われて、足が止まる。

「なんでこんなゴミみたいなものに
何ヶ月もかけていたんだろう」

と虚無感と不甲斐なさに死にたくなる。

私はずっとこのモヤモヤした不快感を
どうにかこうにか沈めようと、
アイデアが湧き出てきそうな本を読み漁ったり、
インスピレーションを起こすための
ノウハウを調べまくったりしたことがある。

でも、全くと言っていいほど意味がなかった。

すべてがその場しのぎの情報で、
苦しみは増すばかりだった。

でもこれはアプローチが間違っていた。

私に必要だったのは、
苦しみや不快感を消そうとすることではなかった。

”「創造」と「表現」をする
クリエイターやアーティストにとって、
不快感から逃れることはできない。”

この事実を受け入れることだった。

不安や焦りを避けようとしないこと。

避けようとするのではなく、
受け入れる。

クリエイターにとって、
不快感は一生を共に過ごす
ルームメイトのようなもの。

この事実を受け入れることができると、
逆説的に、苦しみから解放される。

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