好きな人の好きなもの
これはちょっと自分でもショックだった。私は、私の好きなものは私が決めていると思っていたし、だから好きなものは揺らがないとも思っていたわけで。
先日、ある人に、ある曲を紹介された。
私は音楽に本当に悲しいほどに疎いから、聞いてみたら、素敵だったから、よかったよ、その人にレスポンスをしたところ、違う曲もおすすめされた。
すると、その一連の話を共有していた違う年上の知り合いAが、言った。
「前曲は私は好きじゃない。今すすめてくれた曲は好きだけどね。」
Aは私の尊敬する人の一人で。その言葉は、もう普通に私をぐらつかせた。
私と尊敬する人の、憧れている人の好きなものが違う。
私の好きなものを、あなたは好きでないという。
無邪気に、子どものような、悲しみ。
わたし やっぱり ほんとうに その曲 いいと おもったかな ?
その言葉はただに、事実だ。ただ、あなたは好きでなかっただけ。
そして私はいいなと思っただけ。
ただに、事実なのに、なんだかやけに、まあたらしいくらいに柔らかいところを、傷つけられた気分だった。
あなたとわたしは、違う人間だった。
そんな当たり前のことに傷つく自分という事実が、一番切なく、悲しかった。
この感触を わたしは 知っている。
幼い頃、母と同じ感覚を共有したくて仕方のない、子どもだった。
母が好きなものを好きと言いたかった。
母と同じ感性でありたかった。
母の すべて ただしいものと カクシン してたから。
青色を好きな色と決めた日を明確に覚えている。
多分、3つか4つの時だった。弟と私にと、赤と青のものを渡された時、私は迷わず、青をとり、譲らなかった。本当は、私に、赤色のものがあてがわれる予定だったのに。
周りは驚いた。母も驚いていた。
その時、私の頭はやけに冴え渡っているような、空気に不純物が混じってないような、そんな感覚だった。
別に、本当は、赤でも青でも、どっちでもよかった。自覚するほどに好きな色なんてなかった。
だけど、私は覚悟を決めたように青をとった。 母の好きな色だったから。
Aは言った。 私は その曲が 好きじゃ ない。
多分、その言葉が、あなたのものでなければ、私はきっと、傷つかなかった。
尊敬していなければ、傷つかなかった。
普通に友達だったなら。そしたら、私とあなたは、違う人間なんだから、と、私の好む、私の言葉を心がささやいていただろうに。あなたが好きでないものを、好きだと言い切る、自信がない
誰かへの憧れの思いは、全て、母への気持ちに繋がっていた。
承認欲求は数を求めない。
誰かに嫌われることは、やっぱり悲しくて。だけど、結局にそれは、どうでもよくなる気がする。
私は、尊敬している人に。確かなあなたに、褒められたくて、感性を統合してほしい。
幼い日に得られなかった母を、再現してくれる人を、求めているのかもしれない。
そんな風に、思わずに、尊敬するあなたの言葉を、楽しみたい。
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