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「量」をとるか「質」をとるか


という問題。

私のnoteの話である。


noteを始めようとしたきっかけは、年の離れた妹が、私の中学時代に流行ったケータイ小説のような小説サイトのアプリを入れており、それに(半ば強引に)勧誘されたからである。勧められるままに入れてみたが、やはりああいうものには年相応、というものがあり、予想されるユーザーの平均年齢層からも、私には合わなかった。

かといって、今更ブログ開設は少し面倒であり、小説投稿サイトもどれを選べばいいかよくわからない。

そこでnoteである。

登録した当初は、一般学生の私が使っていいものなのだろうかと、会員登録後に急に怖気付き、しばらく放っておいていたが、日に日に小説やら詩やらが書きたい見せたい欲が湧き上がり、創作好きはみんなクリエイターなんだから使って悪いわけあるか、となかば開き直り、四月初頭から小説やら詩やらを投稿し始めた。


投稿当初、決めた目標がある。

それは、毎日投稿する、ということである。


そんなわざわざ改行して行間までとって言うほどのことでもないやん…というような平々凡々な目標ではあるが、私はこうしてわざわざ自戒の念も込めて記事にしなければ、とても毎日続けられない飽き性なのである。現に、まだ一週間も経っていないのに今日もちょっと忘れていた。

しかし投稿当初は、毎日、短編小説か詩かイラスト、といった創作物を投稿しようと思っていた。連投三日後に、こりゃ無理だ、と悟った。


創作物、いわゆる作品は、生み出された瞬間他人みたいなもの、とものすごくさっぱりした方もいらっしゃるが(尊敬致しております…)、私はダメだ。できない。

できない、というと少し語弊があり、例えばnoteにすでに投稿してしまったら、ひと段落ついた、という感覚になりある程度執着もなくなるのだが、投稿するまでの見返しにものすごく時間をとってしまう。

だってやっぱり、みてもらえるぶんには、すてきとおもってもらいたいんだもん。


タイトルなども、物凄く考えなおしたりするし(大体パッと浮かんだものが一番いい、などという事実はおいておいて)、昔書いた詩なども、今見返すと「違う違う」と思い書き直すものもあるし、そしてそもそも、創作物(特に詩)は物凄くアイデアが出てたくさん書けるときと、何も書けない時の差が激しい。私は。

だから、創作物は思い浮かぶ時にノートに書きだめしておき、何も思いつかない期間に見返して、手を加えたりすることが多いのだが、大体、外界に出る用事がない(というより出られない)今、自身の輪郭が揺らされることがないから、隙間から生まれる言葉もあまり出てこない。

本や詩集を読めば、鋭く瑞々しい言葉にはたくさん出会え、創作刺激は受けるが、どうしても感激した言葉や空間に引っ張られ、思想の借着をしてしまいそうになるから、生み出された言葉は、少し熟成させなければならない。(さもないと、質の良くないジェネリックのような、ただ単体の言葉の羅列になってしまう場合が多いのである。)質のいい調味料であっても、それだけで料理はできない。


しかし、当初は作品だけで自分のnoteを作り上げあげたいとも思っていた。苦労して生み出した、気に入りの言葉だけを店頭に並べたかったのである。


そんなん、ぜっっったい、続けられへんわぁ。


というのが、三日目の私の心の大地主のセリフ。異論の余地を許さない断言ぶりである。

しかし確かに、いくら今まで書いたストックがあるとはいえ、昔すぎる昔に書いた、もう人様に見せるわけにはいかないほどの、稚拙なものもたくさんあるわけで。直せば一からのものも多い上に、そもそも思いつかない日はストックのものを投稿する、なんてことをしていたら、すぐに底を尽きてしまう。

そこで、「量」を取るか「質」を取るか、という脳内会議が約30秒ほど行われ、結果、「量」を取ることにした。理由は「質」をとり、投稿回数を緩めれば、確実に投稿にムラが生まれ、最終的に投稿しなくなるかもしれないから、という王道中の王道のもの。(今週日本で一番どうでもいい余談ではありますが、今、パソコンの操作ミスでここまで書いた記事を消しそうになりました。消えてたら絶対不貞寝して投稿しなかった…危ない。)

人様の記事(エッセイなど)を読むのは新しい見方に触れられたりと、とてもとても面白く大好きなのだが、自分が書くとなるとどうしても、「なんていうか、ほんとにつまんないけどいいんだろうか」などと思ってしまい、つい、気を抜くと小説調で言葉を並べてしまったりする場合がある。そうするとまた、半分創作に足を突っ込んだような状況になるので、見返しに時間がかかってしまい、最終的に一つの小説のように仕上げてしまい、ある意味満足はするが、地球の自転は昨日も今日も一律な訳であり、決して私のために少しゆっくり目になど回ってくれないから、時間はサクサクと過ぎてゆくのである。


ということで、何も思いつかなかった結果、部屋着のような文章をこうして晒してしまった。加えて、目標達成のため、凝固途中の乳製品、みたいなメモなどもこれから投稿するかもしれない。

しかしこの文章も打ち始めると普通に時間をとってしまい、これなら瞬間に思いつく詩の方が早いのでは、と一瞬思ってしまったがが、「瞬間」は、それまでの全ての私の年月を小さな一点に濃縮したものであり、今は本当に液状の毎日を過ごしているため、黙って英語の勉強をしようと思う。



(2020.04.09)



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