結果を出すために努力する

2024年2月現在、小生は改めて簿記2級の合格を目指して勉強したり、テニスをやってみたり、その上達に向け、筋トレやストレッチ、素振りもやっている。
簿記の勉強もテニスをやるのも始めたきっかけは「生きていれば、特に営利活動をすれば、金の事は付いて回るんだから、どうせなら知っておきたい。なんなら金の事を仕事に活かしたい」とか「学生時代に近所のテニススクールに母のススメで入ってみた。当時は友達作りがメインだったし、一時期、テニスから離れていた時期もあるし、現在では違うテニススクールに通っているが、振り返ってみれば、テニスだけが何とか人並み程度に出来るスポーツ。健康のためにも続けられそうなのはテニスかな?どうせ続けるなら上手くなった方が楽しい」って、その程度である。

そんな軽い感じで始めた訳だが、勉強然りテニス然りの上達に向けて、結果が出るまでの行動について、毎日、どんな行動をしたのかを小生はX(旧Twitter)に投稿している。投稿すれば「いいね」や「フォロー」をしていただく事もある。当然、「いいね」や「フォロー」をしてもらい、悪い気はしない。でも、「いいね」や「フォロー」をもらうためだけに、X(旧Twitter)をやっているのではない。
では、なぜX(旧Twitter)をやっているのか?
それは『言霊』に尽きる。
日本人は古来から言葉には霊が宿っており,その霊のもつ力が働いて,言葉に表すことを現実に実現するという考え方がある。人間は意識(有意識・無意識を問わず)した方向に向かっていく傾向にある。
その証拠にスポーツ選手の中で「上手くなりたい」「試合に勝ちたい」と言わなかった人の中でオリンピックに出場した選手なんかいないよね?競技人口が多くなればなるほど、尚更。
流れ星が出た瞬間に願い事を3回言うと願いが叶うという逸話も同じ。実際に3回言う事は物理的に不可能にしても、とっさに自分の意識を言語化出来ない人に願いが叶うはずがない。
X(旧Twitter)というSNSで全世界の人に行動量を発信する事で、サボった事やいつまでも結果が出せない事がバレてしまう環境を作りだし、自分自身を鼓舞する事が最大の目的である。
あくまで、『結果』を出すための、いわば日記のような手段としてX(旧Twitter)を使っているに過ぎない。大事なのは結果である。
いくら学校で『努力』や『行動』が大事だと教わったところで、それは遅かれ早かれ結果を出すためである。仕事となれば余計に結果が求められる。
例えば、飲食店でいえば、客なんてのはワガママなもんで、求める事は「美味しさ」と「安全性」(時には値段やサービス)。勿論、見る人が見れば「この料理手が込んでるね」「素人がなまじマネは出来ない料理だね」ってのは分かるだろうが、「美味しさ」と「安全性」が担保されない以上は店側がいくら「商品開発や仕込みに時間がかかった」と努力を訴えたところで、金輪際、来てもらえなくなるのは当然の事。
兎に角、結果。目標とする結果と現状の差を埋める行為を「努力」と呼び、努力そのものを認めて欲しいと他人に乞うのは勘違いも甚だしい。そんなのは『馬鹿』『メンヘラ』『カマチョ』『自惚れ』『ガキ』でしかない。


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