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私は傍観者だった~忘れられないラブレター~

中学3年生の春休み。
私宛てに一通の手紙が
届きました。

差出人は
同じクラスだった
S君でした。

S君とは、
同じ班で
席が近くでしたが、
何か用事があった時に
話をする程度で
特に親しかった訳では
ありませんでした。

進路も違い、
4月からは
別々の高校に通うことに 
なっていました。

同級生の男の子から
手紙が届いたら
もしかしてラブレター?
ぐらいの想像をしても
良さそうなものですが、
この時の私は
そういう発想には
なりませんでした。

S君がそういう素振りを
全く見せなかった
ということも
もちろんありますが、
それまでに、
ラブレターをもらった経験が
一度もなかった私には、
自分宛てに
ラブレターが届くなんて
考えもしないこと
だったのです。

でも、
確かにそれは
ラブレターだったのです。
ただ、
そのラブレターは
嬉しい!と
一言で片付けられるような
そんな甘いものでは
ありませんでした。

封筒を開け、
便せんを広げた
私の目に
真っ先に飛び込んできたのは
忘れもしない
この一文でした。



僕は、いじめられていた



その一文を目にして、
私が最初に感じたのは

やっぱり…

と言う気持ちと
途方も無い
罪悪感でした。

当時、 
私の中学は
少し荒れていて
暴走族のような
組織に入っている子が
数人いました。

髪を紫色や青色に染めたり
鳶職のような形の制服を着たり
先生に悪態をついたり
夜、バイクを乗り回したり…
そんな子たちが
クラスにも何人かいました。

とは言え、
みんな小学校からずっと一緒で、
お互いのことを
よく知る仲だったので
見た目や素行が
変わったからと言って
にわかに怖い
という風にはなりませんでした。
それでもまあ、中には
怒らせたら怖いだろうなという子が
いたにはいましたけれど。

近所の幼なじみの子も
髪を青く染めていました。
でも、その子は
本当に優しい子でした。
むしろ、優しすぎるゆえに、
そういう所から
抜け出せずにいるのだと
分かっていました。
だからその子の髪が青いことは
その子と付き合う上では
全く関係のないことでした。

手紙をくれたS君は
ハキハキしていて
授業でも積極的に
発言するタイプの子でした。

S君が授業で発言したり
目立った行動を
取ったりした後は
決まって
「いい気になるなよ」
と冗談半分で
絡んでくる子がいました。
H君という子で
クラスでも、
一目置かれている子でした。

H君は
怒らせたら怖いな
と思う子の一人でした。

H君が絡むと
それに便乗して
集まってくる子も
いました。

そんな時、S君は、
「おい、やめろよ」
と笑いながら
うまくかわしていました。

冗談が過ぎるからかいもあって
そういう時は
本当に嫌で、悲しくて、
早く止めて欲しいと
思いながら
見ていました。
 
どんな時も
やられたら
やられっぱなしではなく
「やめろよ」
と笑いながらも
ハッキリと言い、
その後は
何事もなかったように
普通にしていたS君。

普段は
H君たちとも
普通に会話をし、
楽しく過ごしていました。
だから
たまにひどいことも
されるけれど
大丈夫なのかなと
思う気持ちもありました。

でも、

いじめられていた

その一文をみた瞬間に、
それは
私の都合のいい
勝手な解釈だったのだと
思い知りました。

S君はやっぱり
嫌だったのだ
辛かったのだ

何も言わずに
ただ見ているだけだった自分は…

傍観者=加害者

だったのだ…

すーっと、血の気が引きました。



手紙には
さらに
こんな内容のことが
書かれていました。

僕がいじめられている時 
君はいつも悲しそうだった…

自分の気持ちを
分かってくれている人がいて
嬉しかった…。 


私はあの頃
ずっと、
自分に言い聞かせていたのです。

きっとこれは
いじめではない。
大丈夫。

S君が自分で
「やめろ」
と言えてるのだから…
それで相手も
やめているのだから…
私は何も言わなくても
大丈夫なのだと。

そう自分に言い聞かせ
自分を守っていたのです。

「やり過ぎじゃない」
「やめて」
その一言が言い出せなくて。

ズルい自分。
卑怯な自分。
弱い自分。

自分が、
情けなかった…。


その後、
手紙には
S君の好きな物が
連ねられていました。

お笑い芸人の名前とか
好きな音楽とか…

○○が好き
○○が好き
○○が好き

色んな好きなものが、
ずーっと続いて
一番最後に
君の笑顔が好き 
とありました。

その時
これは
ラブレターだったのだと
はじめて気が付きました。

でも
生まれて初めてもらった
ラブレターを
私は
素直に喜ぶことが
出来ませんでした。

その後
S君と同じ高校に行った
友達から
S君が、元気に
高校に通っていると聞き
ほっとしました。
けれど、
このことは
その後ずっと
私の心に残り続けました。


相手が嫌だって
感じた時点で
いじめだからね

息子にそう言いながら
心の中で
何を偉そうに…
と思っている
自分がいました。


あの日のことを
思い返していたら
突然
私の中から
過去の様々な出来事が
溢れ出してきました。

それは
未消化のまま心の奥に
押し込められていた
認めたくない自分でした。

自分を守ろうとして
相手を言い負かした自分。
言い訳をした自分。 
いい人のふりをした自分。
きれいごとを並べ立てた自分。
相手を責めた分。
誰かを批判した自分。
相手の傷付く言葉を放った自分。

そして、
今もなお
日常生活の中で、
あの人が悪い
あの人はひどいと
誰かを責めている自分が
いることに
気が付きました。

そして、
無性に
自分が嫌になりました。

突然
沸き起こった気持ちを
処理することが出来ないまま
私は車に乗り、
仕事へ向かいました。

頭の中を
色んな出来事が
ぐるぐると回って
目眩がしそうでした。


角を曲がり、
両脇を田んぼに囲まれた
広い道に出た
その時です。

私は目の前の光景に
はっと息を飲みました。

私の視線の先には
太く、真っ直ぐ空に立つ
大きな虹の柱があったのです。


それを見た瞬間
涙が溢れました。


こんな私を
こんな私でも
神様はそのままでいいと
許してくれている…

そんな気がしました。



そして、
間もなく
虹はすーっと
消えていきました。



過去の許せない自分
今もなお
誰かを責めている自分
全て
そのまま
受け入れよう

そう思いました。


あのことも
このことも
全て
私に必要なことだったのだ…。


私は、
今、
これからの日々を
自分にも
人にも
優しく生きていこうと
心から思います。

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