見出し画像

彼女との巡り合わせ

私には、20歳以上年の離れた
大学生の親友がいます。

これまで、
学生時代の友達以外で
親友と呼べるほど、
親しくなった人は
いませんでした。

彼女と出会ったのは

『変わりたい』

そう思って動き出した
ちょうど去年の夏のことでした。


彼女に出会う2年程前から、
私は、学校とボランティアをつなぐ
コーディネーターとして
働いていました。
仕事と言えるほどの
仕事でもなく、
出勤日、出勤時間なども
決まっていません。
小中学校からの依頼に応じて、
ボランティアを募集し、
日程調整や打ち合わせ、
ボランティアへの連絡、
段取りをして
活動に立ち合ったり、
時には一緒に活動したりする
というのが主な仕事です。
年間の活動時間に制限があり、
報酬は、給料ではなく、
謝金という形でいただいています。

ちょうど2年前に、
この地域にボランティア組織が
立ち上がられることになり、
長年ボランティア活動を
してきたこともあって、
学校から声がかかり、
引き受けることにしたのです。

コーディネーター2年目の
去年の夏のこと。
中学校から、
中国語の通訳をしてくれる人を
探して欲しい
との依頼がありました。
中国人生徒に対して
市でも通訳の方を配置し
対応しいるものの
通訳の方の勤務日数に制限があり、
今の状況では、
生徒の対応には不十分とのことで、
何とかボランティアで、
対応できないものかと
いうことでした。

中国語を…
しかも無償で…。
そんな人、見つかるかな…。

かなり難しい依頼内容でした。
でもそれは、
中学校側も百も承知の上でのこと。
取りあえずやれるだけやってみましょう
ということになり、
早速、知り合いを当たったり、
募集ポスターとチラシを作って、
地域に配布したりしました。

ちょうど、
この依頼の少し前から、
私は、この仕事と兼務で
ある小学校のスタッフとして、
働いていました。

コロナの関係で、
学校の業務が圧迫したことから
それを補うために、
7月から3月までの9ヶ月間
市内の各学校に
臨時の緊急スタッフを
配置することになり、
コーディネーターとして
その小学校に出入りしていたことから
声がかかったのです。
本来であれば、
この2つの仕事を兼務することは
有り得ないことでした。
詳しい事情の説明は省きますが、
様々な条件が重なって、
今回に限って兼務が可能と
なったのです。
とは言え、
時間的な問題、
家庭の事情など
色々不安はありました。
色々配慮してもらった上で
その条件だったら
出来そうだなと思えたので
引き受けることにしたのです。

それまで、
職員室に私のデスクは
ありませんでしたが、
スタッフとして、
毎日勤務することになったため、
私にもデスクが
設けられることになりました。
学校で、事務仕事が
出来るようになるのは
有り難いことでしたが…
そこは職員室。
これまでの私には
無縁の場所でした。
まさか、ここで、 
先生たちと席を並べて
仕事をすることになるなんて…
想像もしなかったことでした。
正直、不安でいっぱいでした。

向かいのデスクの先生は、
ベテランの女の先生でした。
担任ではなく、
専門科目の先生だったので、
他の先生より
職員室で過ごすことが多く、
給食もここで食べていました。
必然的に話をする機会も増え
すぐに親しくなりました。
先生のお陰で、
職員室にいる不安は
解消されました。

ある日
先生と、家族の話になり、
先生には、東京の大学に通う
娘さんがいることが
分かりました。

聞けば、2月に
実家に帰省していている最中に、
世界でコロナが大流行し、
東京に、戻れないまま
ずっと、実家で一緒に
生活しているとのこと。
少なくとも来年の3月までは、
このまま一緒に過ごすことに、
なるだろうということでした。
娘さんの話をする中で
なんと、先生の口からこんな言葉が

「娘がね、今、
中国語に、はまっていてね…」

えっ、今なんて?

聞けば、
あと一つ試験を受ければ
通訳になれるほどなのだとか。

大学では、
英語を専攻しているのだが、
今は、英語より
中国語にはまっていて
独学でここまできたのだとか。
帰省する際、
まさか、
コロナでしばらく東京に
戻れなくなるなんて
思いもしなかったから
英語のテキストは全て置いてきたが
なんと、
大好きな中国語のテキストだけは
大量に持ち帰っているのだとか。

こんなことって、ある?

すぐに、私は
チラシを見せ、
中国語ボランティアの話をしました。

トントン拍子に話が進み
先生の娘さんに
中国語ボランティアとして
来てもらうことが
正式に決まりました。

9月の始め、 
早速、今後のことについて
学校で打ち合わせをすることに
なりました。

初めて会った彼女は、
大学生というだけあって、
本当に若々しくて、
私には、眩しすぎるぐらいでした。

担当の先生を交えての打ち合わせは、
30分程度で終わり、
その後、彼女とはすぐに別れました。 

その後、3ヶ月程、
彼女と直接会うことは
なかったのですが、
先生を通じて、
彼女のことを色々聞くうちに、
私たちがとてもよく似ていることが
分かりました。
感じ方というか、
考え方というか…。
それまで、
誰にも言えずにこっそり見ていた
大好きなユーチューブ番組を
彼女も見ていると知った時は
腰を抜かしました。
そんなこんなで、
先生から毎日のように
彼女のことを聞いていたので
実際に会ったのは、
たった1度で、
しかも打ち合わせのための
30分だけだったにもかかわらず、
気が付けば、
私は、彼女のことを
よく知るようになっていました。

いつか、直接会って話したい
ずっと、そう思っていた私は
あるボランティア研修会の後に、
彼女をランチに誘いました。
次の予定もあり1時間ほどしか
時間がとれなかったのですが、
これまでの間接的な交流により
私たちの距離は
かなり縮まっていたため、
あってすぐに意気投合。
その日のうちに、
連絡先を交換しました。

その後、
私たちは月に1度のペースで
会うようになりました。
毎回、午前中から夕方まで、
5~6時間話しても
話したりないほどです。

最初こそ
年の差を気にしていましたが、
もうそんなことは
気にならなくなくなりました。

彼女も、最初は、
嬉しいけどすごく緊張していた
と言います。
無理もない話です。

彼女とは、
趣味も、得意なことも、
全く違いましたが、
ものごとの捉え方や考え方、
そして、感じやすい繊細なところが
よく似ていました。
今まで、この部分について、
これほど分かり合えた人は
いませんでした。

他の人に伝えることも
理解してもらうことも
難しかったこの繊細な部分を
彼女は本当によく
理解してくれました。

そして、私もまた
彼女の気持ちが
よく分かりました。

私たちが、
深く話したいことは一緒で
何時間だって、
話していられました。

彼女と出会い
それは、まるで奇跡のよう


ちなみに、
現在も彼女は、
実家で大学生をしています。

そして、おもしろいことに、
彼女は、今、
中国語熱が冷め、
中国語ボランティアからは
離れているのです。

彼女は、言います。

なーさんに会うために、
中国語に、はまったのかな…


1年前、私が
『変わりたい』
と思い動き始めた頃、
彼女は、
家でずっと塞ぎ込んでいました。
中国語ボランティアのことを
先生に話した時、
娘の気分転換になればと喜び、
もちろん、彼女自身も、
大好きな中国語を生かした
ボランティア活動が出来ることを
心から喜んでくれました。
そして、
ボランティア活動を始めるや否や
もっと中国語をマスターしたいと
中国語の講座を受け始めたり
自然の中で過ごしたいと
農家でアルバイト始めたり、
驚く程の行動力で、
毎日を生き生きと過ごし始めたのです。

す、すごすぎる!

先生から
彼女の話を聞くたびに 

私も変わりたい!

そう思わずにはいられませんでした。
これまで躊躇していた
講座やセッションに
思い切って申し込み、
学びを深めていきました。
その後チベット体操に出会い、
noneを始め…
気が付けば、
私も変わり始めていました。

これは、余談ですが、 
突然舞い込んできた
緊急スタッフの仕事によって、
受講料などお金の工面も出来たのです。

ホントに不思議だな…。

何もかもがおもしろいほどに
つながっていて…

これも全て
神様のはからいなのかな…
そう思わずにはいられません。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?