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019|天才との遭遇


天才|2021

Title|天才
Date Created | 2021
Art Supplies|水彩絵具
Size|-

Concept|
私の前に天才が現れた。
彼にとって目の前にあるものがアートになるのだ。
嫉妬や競争心に燃えることもなくただ羨ましかった。

Explanation|
大学2年生の頃私が専攻していた版画コースに一年生が入ってきた。同じ時間に教室を使うことは基本的にないものの、一年生たちの作品が目に入った。その時は惹かれる作品は無く特に思うことはなかった。しかし作品の中に正直に言ってへたくそな作品があった。芸術を学び様々な作品を見る中で、自分にとってへたくその概念は、伝達力の不足と、イメージの具現化が出来ていない作品である。勿論そのほかにも要素はあるもののこの2つが大きいと私は思っています。話は戻り、その一年生のへたくそだと思った作品が後に羨ましく感じることになった。初め見た時表現力は勿論そもそも何を描こうとしているかもわからなかった。言葉だけでは伝えきれないですが、一言で言うと「園児の落書き」という表現が適切だろうか。しかし勘違いしてほしくないですが悪い意味で言っているわけではありません。私は園児のような絵を描くことはできません。それは年齢とともに失った純粋さと得てきた情報量や身体の成長によるものです。そんな園児の落書きと感じたその作品を自分の一個下の男性が描いているのだ。その時私は思いました、純粋にへたくそだと感じたことは初めてだった。考えれば考えるほど衝撃だった。ボディーブローのように時間差でくる攻撃を受けたような。そういえばピカソはこんな言葉を残している「子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」この言葉に全てが詰まっている気がした。またそんなピカソさえも「ラファエルのように描くには4年かかったが、子どものように描くには一生涯かかった」このように発言していることから子供の頃無邪気に絵を描いていたその頃は一切の曇りがなく迷いなく歪な線でも純粋に絵を楽しめていたのだ。その無邪気な絵を描ける大人や芸術家はほぼいないだろう。それこそピカソやパウル・クレーなど、過去の作家には一定数いたかもしれません。そんな現代でその無邪気な気持ちをアートに昇華できるそんな彼がどんどんと羨ましく感じたのだ。そんな彼と出会い天才だなと思った。その時の気持ちを絵にした作品です。彼が描くもの見るもの全てがきっと新鮮でどんな形として捉えているのだろう、とても興味深い彼はあるギャラリーのオーナーにたまたま作品を見てもらえたようで、個展をしてほしいというお願いを受けたそうだ。遅かれ早かれそんなことにはなるだろうなとは感じていた節はあったものの、思ったより早くてまたまた羨ましかった。今はどこで何をしているか知る由もないがきっと彼のようなタイプの天才に会うことは今後ないと思う。そんな人間に今後会えないかもと思うと寂しいようなホッとしているような。会いたいような会いたくないような。できれば面識はいらないので画面越しに見てみたいような気分。皆様もそんな天才の肌に触れたことはありますか?その経験は新しい視点を与えてくれるキーパーソンかもしれない場合もあります。人によっては飲まれてしまう人もいるかもしれないですが。そこは皆様ほどほどにゆったりいきましょう。世の中天才も努力を怠らないことがミソですから。
それではまた。


天才|2021

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