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なぜ小説を書くのか(小説家・仙田学)―文芸領域リレーエッセイ③

2023年度に新設する文芸領域への入学を検討する「作家志望者」「制作志望者」へのエールとして、作家、編集者、評論家の方がリレーエッセイとしてお届けします。

今回は小説家の仙田学さんのエッセイをご紹介します。

仙田 学(せんだ・まなぶ)

小説家。1975年1月27日生。京都市在住。2002年小説「中国の拷問」で「第19回早稲田文学新人賞」を受賞。著書に『盗まれた遺書』(河出書房新社)、『ツルツルちゃん』(オークラ出版)、『ときどき女装するシングルパパが娘ふたりを育てながら考える家族、愛、性のことなど』(WAVE出版)、共著書に『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)がある。

Twitter : @sendamanabu
blog : https://ameblo.jp/sendamanabu/


なぜ小説を書くのか


執筆に取りかかったのはいいけれど、思うように書けない。
書いたものを面白いと思えなくなって途中であきらめて消した。
他の作品を書きたくなって中断したが、結局どちらも完成しなかった。

これから書き手になることをめざす方のなかには、そんな経験に悩んだことがある方は多いのではないでしょうか。

小説やシナリオ、ノンフィクション、詩、エッセイなど、文章表現にはさまざまなスタイルがありますが、どのような形であれ、書き手になることをめざす方にはぜひ行っていただきたいことがひとつあります。

それは、「なぜ私は小説(シナリオ、ノンフィクション、詩、etc…)を書きたいのか」という問いを自らに投げかけるということ。

つまり、文章を書くうえでの根本的な目的を見いだすということです。
書くことを旅に喩えると、目的地を定めるようなもの。

「沖縄に行きたい」「モルディブに行きたい」など、最初に目的地を定めるからこそ計画を立てられますし、実際にその地に辿り着くことができるわけです。
目的のない旅もいいですが、途中で気が変わって「ここに行きたい」と思っても旅費がオーバーしていたり日程が合わなくなったりして、行けなくなる場合もあります。

文章を書くときにも、事前に目的地を定めておくことによって、思っていたものに近いものが書けたり、最後まで集中して書ききれたりします。
そうならないときには、なんとなく書いていないか、あてのない旅状態になっていないかを点検してみてください。
文章を書くうえでの目的地、言い換えると根本的な目的とは、「なぜ私は小説(シナリオ、ノンフィクション、詩、etc…)を書きたいのか」という問いに対する答えです。

たとえば私は、小説の執筆を20年ほど続けています。
なぜ書き続けているのかというと、「書くことはしんどいけれど、書くのをやめてしまうともっとしんどくなるから」です。

私が創作を志したのは、15歳の頃でした。
中学3年生になって不登校になり、家に引きこもって悶々としていたときに、そのモヤモヤを外に出して形を与えれば気持ちが楽になるのではと考えたのです。

当時はマンガが好きで月刊誌「ガロ」を購読していたので、見よう見まねでマンガを描き始めました。最初は楽しくて、毎日のように机に向かい、オリジナル作品を次から次へと描いていました。

誰に見せるつもりもない作品が段ボール箱数箱ぶんほど溜まった頃に、勇気を出して「ガロ」の新人賞に応募しました。
結果は一次審査も通らず、「もっと勉強しましょう」という手書きのメモとともに作品は送り返されてきました。

その後もめげずに応募し続けましたが、一次審査には一度も通りませんでした。
やがて18歳になり大阪芸大に進んだ私は、映画研究部に入ってシナリオを書いたり、自主制作映画を撮ったりもするようになりました。劇団を立ち上げてシナリオと演出と出演をこなしたこともあります。マンガも描き続けていました。

創作活動が順調に進んでいたかのようですが、続ければ続けるほど、私は自信を喪失していきました。自分の創っているものを面白いと思えなくなっていったのです。
というのも、周りの人達と自分を比べてしまい、絶望したからです。

芸大でできた友達には、映画を撮っている人や音楽を創っている人、演劇の舞台に立っている人がたくさんいました。そのなかにはすでにプロとして活躍している人や、アマチュアながら活発に活動している人もいました。

友達の創る作品はどれも素晴らしく、輝いて見えました。
それに比べると自分の創るものは……。
一度そう考えると、後戻りはできませんでした。初めてマンガを描いた頃のような楽しさが蘇ることはありません。

気がつくと私はアルコールに頼るようになっていました。
毎晩飲むようになり、迎え酒をするようになり、一日中飲み続けるようになり、大学には泥酔状態で通っていました。

そんな生活が長く続くわけはなく、ある夜に自宅で倒れて救急車で運ばれたことをきっかけに、アルコール依存症専門病棟に入院することになりました。
退院してはアルコール漬けの毎日に戻り、生活が続けられなくなって再入院、というループが始まりました。

最終的に大学に通うことができなくなり、中退してアルコール依存症の治療に専念するという暮らしを2年間ほど送りました。
アルコールの抜けた頭で考えたのは、自分の作品が面白いと思えないのなら、既存の作品を研究すればいいのでは、ということ。

図書館に通って、「世界文學全集」を1巻から読み始めました。
ロシア、ドイツ、フランス、アメリカ、イギリスの古典文学を読み漁るうちに、本格的に研究がしたくなってきました。
特に惹かれたのがフランス文学だったので、独学でフランス語の勉強をして、関西大学のフランス文学科に編入学しました。

卒業後は学習院大学の大学院に進み、そこで文学研究の方法を学びました。
毎日部屋にこもって原書講読をして、年に1回論文を書く。
そんな生活を2年ほど続けた頃に、ふと15歳の頃に感じたモヤモヤのことを思い出しました。
マンガを描いていたときも、芸大で友達の才能に打ちのめされたときも、アルコールに溺れていたときも、文学研究をしているときにも、そのモヤモヤは私のなかから出ていきませんでした。

――このモヤモヤと一生つきあっていくのか。

そう思うと心底ぞっとしました。
小説を書こう。
決心をして3ヶ月ほどかけて100枚の小説を書き上げました。

生まれて初めて書いた小説は文芸誌「早稲田文学」の新人賞を受賞して、私は小説家になりました。27歳のときでした。マンガを描き始めた15歳の頃から、実に12年が経っていました。

「モヤモヤを外に出して形を与えて気持ちを楽にしたい」という思いを12年間持ち続けていたおかげで、私は小説を書くことに巡り会えたし、小説家になることができました。
ですが、いま小説を書くことをやめてしまえば、また以前のようにアルコールに溺れたり、もっとひどい状態で身を持ち崩してしまうのではないかという怯えにいつも苛まれています。
船底一枚下は地獄、という思いで、日々小説を書いているのです。

ですので、「書くことはしんどいけれど、書くのをやめてしまうともっとしんどくなるから」というのが、「なぜ小説を書くのか」という問いに対する私の答えです。
この答えを忘れてしまえば、思うような小説を書けなくなると考えています。

この文章をここまで読んでくださった方は、ぜひご自身のこれまでを振り返って、「なぜこれから書こうとしているのか」と自問自答してみてください。
その答えは、これから文章を書き続けていくうえでの支えになるでしょう。



※仙田学さんは文芸領域で授業は担当されませんが今回、特別ゲストとしてリレーエッセイに寄稿いただきました。

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