ISO30414の人的資本ROIの式には、なぜマイナス1が入っているのか?
人的資本経営という言葉もかなり浸透してきた印象があります。私はピープルアナリティクスを専門領域としていますが、近年は人的資本経営も含めて議論されることが多くなってきました。
人的資本経営は、ISO30414ヒューマンリソースマネジメントが制定されたのを期に企業でも導入が進んできました。国内においては、経産省のよる「人事版伊藤レポート」の存在が大きかったと思います。
さて、人的資本経営の中で重要な指標といえるのが人的資本ROIです。簡単にいうと、人への投資額がどの程度組織にリターンをもたらしているかを表現するものです。例えば、こちらのサイトでは以下のように定めています。
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【定義1】 人的資本ROI = \dfrac{収益 - [経費 - (給与 + 福利厚生費)]}{給与 + 福利厚生費} - 1
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人への投資額を(給与+福利厚生費) と読むと、投資額に対してどの程度見返りがあるのか出そうとしている意図が見えると思います。
ところで、この式の右辺にはマイナス1がついています。このマイナス1がどうにも気になったので、いろいろと調べてきました。
調べる前に自分で考えてみる
調べる前に、この「マイナス1」がどのような意味を持つのか自分の頭で想像してみることにしました。そこで初手として、シンプルにマイナス1のない式の意味から考えてみることに。
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【定義2】 人的資本ROI = \dfrac{収益 - [費用 - (給与 + 福利厚生費)]}{給与 + 福利厚生費}
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この式だと、ざっくり考えて、利益を人への投資額で割り算しているようなイメージになります。逆に考えると、人への投資額の何倍利益を出せたのかという意味になりそうです。これならシンプルですね。
では、マイナス1を付ける意味はどこにあるのでしょうか?
思考実験として、利益と人への投資額がイコールになる場面を想像してみます。つまり、
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\dfrac{収益 - [費用 - (給与 + 福利厚生費)]}{給与 + 福利厚生費} = 1
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という状況です。このとき定義1ではROI=0, 定義2ではROI=1になります。
定義1は、人への投資額を回収してさらにどのくらい儲かったのかを、投資額の倍数で表現するような式になっていることがわかります。逆にもし、人への投資額よりも儲けが少なかった場合にはROIがマイナスで表現されることになります。このあたりの表現を狙ってマイナス1をつけたのではないかと想像しました。
それでも、個人的にはマイナス1を付けるのが直感的にわかりにくいなと思いました。定義2は「投資の何倍儲けたの?」というものにシンプルに答えるものなのでわかりやすい気がしました。
ちょうど1年前くらいに、このような思考実験で遊んでいました。
参考書を比べ読みして混乱が増す
思考実験の後、取り敢えずこの疑問を棚上げしていたのですが、昨日本棚の整理をしていてまたもや気になってきました。
なぜ気になったのかというと、本棚にある人的資本経営に関する本を読み返してみると、本によって人的資本ROIの定義が異なっていることに気づいたからです。(本棚の整理中に本を読み耽るというのはよくあることですよね)
読み比べたのはこの本たちです。
これらの本で共通していたのは人的資本ROIの言葉での定義でした。概ね、人的資本への投資に対してどの程度リターンがあったかを示す、というようなことが書かれていました。
しかし、数式の定義としては、定義1で書いてあるものと、定義2で書いてあるもので分かれていたのです。そして、どの本にもマイナス1の謎については書かれていませんでした。どういうことかしら…。
こうなったら原典をあたるしかない
どうにもモヤモヤが止まらなくなったので、原典をあたることにしました。つまりISO30414を読んでみることにしたのです。
ということで、本日図書館にやってきたというわけです。
困ったときの都立中央図書館。
都立中央図書館は研究所時代に何度もお世話になった図書館です。225万冊を有しながら開架もできる図書館で、本好きにはとっておきの場所といえます。とはいえ、ここに来るときには何らかの仕事上の課題を持っていたときだったので、個人的な探求のために来たのははじめてでした。
ISO30414にどう書いてあったか?
さて、ISO30414を調べてみると、人的資本ROIはマイナス1がついた方で定義されていることがわかりました。つまり、この記事でいうと定義1の方ですね。
そこで言葉による解説を恭しく拝読すると、人的資本への投資額が組織へ貢献している程度を示すという風な説明があったものの、肝心のマイナス1については解説がありませんでした。
ここまでか…と思ったところで、人的資本ROIについて引用文献が示されていることを発見しました。これだ!
ISOの引用文献にあたってみると…
その引用文献は次の書籍でした。幸いなことに都立中央図書館に邦訳版があったので、早速探して読んでみることにしました。これで疑問は解消されることでしょう。
で、人的資本ROIの定義を読むと、定義2、つまりはマイナス1がつかないバージョンで説明されているではありませんか。
ぬはーー!!!
疲れてきたのでChatGPTに聞いてみる
いよいよ疲れてきたので自分の解釈で納得しようと思ったのですが、せめてもの慰めを求め、ChatGPTに聞いてみることにしました。
人的資本ROIのマイナス1の意味教えてと。
ふむふむ。概ね自分の解釈とあっています。まぁいいか。
ISOとその引用文献の違いについても聞いてみました。プロンプトの「この本」は先ほどの引用文献のタイトルを指しています。
定義2の方が直感的に理解しやすいといっていますね。ただ投資回収の観点では定義1の方が適していることを示唆しています。
考えてみるとはじめからChatGPT君に聞いてみればよかったのかもしれません。とはいえ、自分である程度調べたからこそ納得できるのではないかとも思います。
まとめ(よかったこと)
ここまでで人的資本ROIの定義を巡る探検は終了です。定義の歴史を追う上でスッキリしない部分が残っていますが、個人的には十分かなと思いました。
この旅路で良かったことは、第一にISO30414は読むべきだという感触を得たことと、「人的資本のROI」という本に出会えたことです。
それから久々に大きな図書館を散策できてリラックスできました。
また通いたいなと思います。
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