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ある報道を見ていて、自分達はプラットフォームを提供しているサービスだと思っていても、サービスを受ける側がプラットフォームのサービスとは思っていない可能性があることを改めて認識した

提供側と利用側の認識がずれてしまう事で、本来素晴らしい価値のあるサービスが機能不全となり、結果的に残念な事件も起きてしまっている

サービス提供側の改善ももちろん必要だが、サービス利用側のリテラシーも高めていかなければならない
便利だからといって自分都合で活用するのではなく、起こりうるリスクも踏まえて活用していかなければならないだろう

提供側も、単にサービス利便性向上のための改善だけではなく、利用側のリスクを低下させる取り組みも必要である
利用側の自己責任で片付けてしまっては、今後の発展は見込めないだろう

現代社会はGAFAMなどに代表される企業の取り組みやSociety 5.0の推進などデジタルトランスフォーメーションによる超スマート社会の実現に向けてますます加速するばかりである

サービスを提供する側、利用する側双方において、選択肢だけではなく正しい選択の仕方や利用後の成果等を理解し、計画性をもって活用していく事が求められてくると考える
いわば超スマート社会における情報企画力、情報検証力、情報計画力とでも云えるようなスキルやリテラシーが必要になってくるだろう

たくさんの選択肢があり多様な可能性を拡げていくために、情報感度が進む社会において提供側と利用側が単に需要と供給の関係性を超えて伴走していく姿勢が必要ではないかと考える

たった僅かな異分子によって素晴らしいサービスや取り組みを潰さないためにも、真のデジタルトランスフォーメーションに向けてたくさんの選択肢から多様な選択ができるよう、一人ひとりが協力し合い豊かな社会を実現して参りたいものだ


ちなみに先日観た『AI崩壊』はまさに提供側と利用側双方の盲点を突かれた内容だった

ちゃんと取材し計算されて作り込まれているからリアルであり見応え抜群
それ以上にいろいろ考えさせられる映画だった

人工知能云々ではなく、進化の志向性とは?成長の志向性とは?と問い続ける2時間だった

進化を深化させる事で真価を得られる...改めて問い続けたい志向性

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