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介護は「できないこと」より「できること」に目を向けたほうが良い理由

介護サービスの目的は「自立支援」である。つまり、できることは本人が行い、できないことを介護者が手伝うというスタンスである。

これら「できること」「できないこと」を見極めるために、高齢者本人やご家族などから聞き取りをし、課題分析のもとに介護支援計画を策定する。

ここで多くの介護従事者にありがちなことは、「できること」よりも「できないこと」に目を向けてしまうことだ。

排泄を一人でできないからオムツ交換する。
食事を一人でできないから食事介助する。
外出を一人でできないから外出同行する。

このように「できないこと」に目を向けて、それを介助することが介護であると思い込んでいる。

一方、当人の「できること」にはあまり目を向けない。確かに「意思疎通は可能」とか「立位保持は可能」といった状態的なことは把握しているが、それはあくまで情報であって当人のあり方ではない。

介護従事者はもっと「できないこと」よりも「できること」に目を向けるべきだと思う。

これは自立支援の意図もあるが、「できないこと」ばかりに目を向けている介護従事者は「高齢者はできないことばかり」「自分が介護してあげないと生きていけない」と勘違いしてしまう。

それはつまり、「介護してやっている」という傲慢さであり、それは引いては介護という名の「高齢者の支配」になってしまう。

大袈裟だろうか? いや、決して大袈裟な話ではない。

私はこのような上から目線の介護従事者を幾人も見てきた。そして、その都度指導をしてきた。・・・が、一度「介護してやっている」という支配的な介護思考になってしまった介護従事者を矯正することは困難である。

おそらく上から目線な介護の異常性に気づくのは、自分が介護を受ける立場になってからだと思う。自分が介護と言う名の支配を受けない限りは、その愚かさに気づかないと思う。

そもそも、人間は「できないこと」を指摘されるのが嫌なものだ。

「できないこと」なんて自分で分かっているのに、それをわざわざカタチにされて他人が手伝おうなんてされるのは屈辱だろう。

そのうえで、自分が「できないこと」を手伝おうとする相手が「介護してやっている」という姿勢でいたら余計に不愉快に感じるのは想像に難くない。

一方、自分が「できること」に気づいてもらえると嬉しいものだ。

それは「できること」を自覚しているならば、それを分かってくれる人がいるだけで生きがいになる。自覚してなくても、それを教えてくれる人がいたら「この人は自分のことを良く見てくれている」と承認欲求が満たされる。

このように介護する側が「できること」を伝えることが、介護を行ううえでの入り口であり、介護における信頼関係につながる。

これは教育にも言えることだと思う。
上司が部下に「できること」には目もくれず、毎日のように「できないこと」ばかり指摘していたら、おそらく部下はメンタルを病んでしまうと思う。仕事の成果どころの話ではなくなってしまう。

もちろん仕事においては一定のスキルと働き方が求めらえるが、それでも根本は人間同士なので信頼関係として尊重し合う姿勢は大切だろう。


――― と、偉そうに書いてみたが、このような記事を書いている私だって職員の「できないこと」に目を向けてしまうし、介護現場においても高齢者の「できないこと」を問題視してしまうことはある。

そもそも「できること」に目を向けるのは労力がいるし、自分の価値観や執着を手放す努力も必要である。だからこそ、安易に「できないこと」に目を向けてはイライラしたり、責めた口調をしてしまうわけだ。

ちなみに、他人の「できないこと」ばかりに目を向けてしまうときは、疲れているときが多い。そのため、他人の振る舞いに対して「もっとこうすればいいのに」「何でできないかなぁ」なんて思うようになったら、「ああ、きっと疲れているんだな」と思うようにしている。

というわけで、今日は何だか他人の「できないこと」ばかりに目を向けてはイライラしそうになることが多かったので、とっとと休むことにしよう。

ちゃんと食べて、好きなことをして、しっかり寝て、翌日には「できること」に目を向けられるようコンディションを整えるとしよう。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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