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物盗られ妄想とは何か?【莫妄想】

認知症の症状の1つに「物盗られ妄想」というものがある。

つまり、「自分の物を他人に盗られた」という「妄想」である。

物盗られ妄想と一言に言っても、色々なパターンがある。

例えば、盗られたと訴える本人がいう物を聞くと、いつも同じ物を伝える人もいれば、そのときによって内容が異なることもある。

お金や財布といった貴重品がなくなったと訴える人もいれば、ポケットティッシュやハサミといった「そんなの誰が盗るのか?」と首を傾げるような物を盗られたと訴える人もいる。

また、誰に盗られたのかも違うこともある。身近な家族や介護スタッフといった特定の誰かを断定する人もいれば、誰かを特定せずにとにかく「盗られた」と訴える人もいる。

このように、本人が物を盗られたというパターンによって、アプローチの仕方も変わってくる。



では、物盗られ妄想へは、どのようにアプローチすれば良いのだろうか?

それは、「物盗られ妄想はなぜ起きるのか?」を知ることである。

物盗られ妄想の理由は色々あるが、基本的に認知症の症状としての記憶障害が大きい。例えば、財布に入っていた1,000円で買物をしたけれど、本人が「買物をした」という記憶が残っていない(定着していない)場合、財布を開けたときに「1,000円がない!」となる。

買物をした記憶がない本人にとって「自分が使っていない ⇒ 誰かが自分の財布からお金を盗ったに違いない」という発想になる。

財布にお金が入っていないだけで「誰かが盗った」という発想は分からないでもないが、周囲からすると話が突飛だろうと思われるだろう。しかし、認知症の方は判断力や思考力も落ちているため、筋道を立てて客観的に物事を見ることができなくなる。そこで可能性として1番分かりやすい「誰かが盗った」を正解として見なしてしまう。

さらに、「誰かが盗った」という正解(と本人は思っている)に対して、今度は犯人探しをする。そこで独居で思い当たる人がいない場合は「誰かが盗った」「泥棒が入った」となり、同居や定期訪問する人がいれば「一緒に住んでいる子供が盗った」「いつも来ているヘルパーが盗った」などと言う。

もちろん、これは物盗られ妄想の全てのメカニズムではない。あくまで状況によって考えられる可能性の1つである。

大切なことは、物盗られ妄想に陥っている本人の心理と不安を理解することである。また、それによって周囲も感情的になってしまうことを緩和できるということもご理解いただきたい。




物盗られ妄想の状況として、ご本人の訴えとして「何を盗られたか?」もポイントになる。

例えば、いつも同じ物を盗られたと訴えられる場合、その人によってそれがとても大切な物だったり、思い出がある物だったり、もはや執着と言っても過言ではないこともある。

なぜ同じ物を指して「盗られた」と訴えるのかと言うと、これも「記憶」が関係してくる。その人にとっての「背景」「ルーツ」と言い換えても良いかもしれない。

そもそも、物というのは、当人の記憶や背景が結び付くことで意味を持つ。

例えば、Aさんは古い辞書を持っている。それは親から譲り受けて学生の頃からずっと使ってきた愛着のある辞書だ。しかし、それを知らないBさんにとっては「インターネットですぐ調べられるのに、今どき辞書なんていらないだろう」と思うかもしれない。

Aさんにとってはこのような記憶と背景があるからこそ、この辞書という物に意味がある。

だからこそ、物盗られ妄想においても、いつも特定の物を「盗られた」という方がいたら、その人にとっての「記憶」と「背景」が色濃くあるのかもしれないという視点も必要かもしれない。

一方、その都度盗られた物が変わる場合は、もしかしたら過去に何か大切な物を失ったり、それこそ泥棒に入られという経験があるかもしれない。

このように認知症である本人の「記憶」と「背景」を探ることは、物盗られ妄想に限らず認知症ケアにとっては重要な取り組みである。




物盗られ妄想へのアプローチとして、「一緒に探してあげる」「他の話題に興味を移す」といったことが言われている。

これはこれで間違いではない。しかし、「物盗られ妄想が出たら〇〇する」という手段にだけ目を向けるのは違うと思う。

たまに認知症の方が「〇〇がなくなったの・・・」と不安そうに訴えてきたところに、「あーハイハイ。またあれ無くなったの? どれ、お部屋にあるはずだから一緒に探そうかー」と本人そっちのけで、まくし立てるように話を進める介護スタッフを見かける。

もしも自分の事業所のスタッフがこのような対応をしていたら、ちゃんと相手の訴えに耳を傾け、ときには疑われることがあっても、当人の不安を理解したうえで対応することが大切であると伝える。

それは、認知症の基本姿勢は「傾聴」と「受容」がベースになっているからだ。これらのない対応は、また同じような訴えをしてきたり、それが重なると怒りや悲しみ、閉じこもりといった症状を引き起こす。

どのような症状や言動であっても、まずは相手と関わることを第一にしてほしいと切に願う。




最後に。

「物盗られ妄想」の「妄想(もうそう)」という言葉であるが、これは仏教では「もうぞう」と言うらしい。

それは未来という不確定な事象に対して、あれこれ考えて不安になっている状態である。

それに対して、禅では「莫妄想(まくもうぞう)」という教えをしている。
つまり、「妄想することなかれ」ということだ。

認知症における物盗られ妄想は、未来のことを不安になっているというよりも現在または過去への不安と恐怖とも言える。また、周囲から見れば妄想であっても、認知症たる当人にとっては現実(リアル)なのだ。

そのことを受け止めて私たちは適切に接する必要があるし、このような状態だと理解しておくと介護の際に怒ったり悲しんだりと感情的になることも少なくなるかもしれない。

まぁ、認知症でなくても何かトラブルがあれば「きっと✕✕のせいだ」などと決めつけてかかるだろう。それなのに、認知症となると当人を否定したり正論を解こうとするのは矛盾している。

また、誰もが「妄想(もうそう/もうぞう)」に縛られている。だからこそ、せめて認知症の方が物盗られ妄想に陥っているならば、アプロ―チ方法を見極めて、無理のない程度に「莫妄想(まくもうぞう)」につなげていただければ幸いである。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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