師弟関係や先達から教えられて伝わっていくものって、
代を重ねるごとにいろいろ変化していってしまいますよね。

私はアレクサンダーテクニークの教師をしています。
学校で学んでいる時も先生がいましたし、今も師匠がいます。


教わったことを進化させて次に伝えていく、って
これ本当に進化と呼んでいいのか?
という疑問です。


時代に合わせて教え方を変える。
わかりやすく伝えるためにどんどん教え方を変化させていこう。

みなさんはどう思いますか?
教える仕事についている方なら一度は考えたことあるんじゃないでしょうか?


私の考えは、学べば学ぶほど
教わったことや以前から伝えられていることに
戻っていくような気がしています。
なので昔から言われているものや
原本に書かれているものが自分の中でも
最新のものとなっていく感覚があります。


武道だって
音楽だって
伝統芸能だって
農業だって
写真だって

昔から行っていたことや
伝わってきたものには
すごく大きな意味があるんだと思います。
伝統ってすごいです。

特に体を使って行うことは
体自体がほとんど進化していないのだから
当たり前と言えば当たり前ですよね。

体を使わないものなんてないです。

考えることだって
脳という体を使って行いますから。


なんでこんなことを書いているかというと、
もう何回も読みなおしている本に
このことが書かれてあって、
最近特に響いたからです。

1979年に行われたインタビューでこんなことが書かれてあります。
「アレクサンダーテクニーク以外のことを雑多にして教えている。
これでは衰退していくことになるだろう。」という意味のことを言っています。
40年以上前から懸念されていたんですね。


今はいろいろな情報が簡単に取れるようになり、
また様々なテクニックやメソッド、考え方があります。

武道はスポーツになったものもありますし、
ヨガだっていろいろなものがあるらしいですよね。


様々なものを取り入れることを否定はしませんが、
「以外」を取り入れているという自覚がないと
何を教えているのかがわからなくなりますということです。

教えている私たちは自覚を持っていないとですね。
自戒の念を込めて。


(偉そうなことを言っていますが、私自身
まだまだ建設的な意識的コントロールができていません)


本質以外を教えるなということではなく、
今教えていることは本質とは離れているという
自覚が大事なんじゃないかということです。


前の人からトマトを渡されたのに
次の人にケチャップを渡したら
渡された人はトマトのことがわからなくなる。
そんな感じ。

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