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「誰も頑張らない」という選択肢もある

 muu。さんが投稿なさった『あたり前に休もう』を読んで、前々から私の腹の底でとぐろを巻いていた思いがわっと湧き上がってきたので、記します。 
 ただし、muu。さんの記事は、あくまできっかけで、そのご主旨を正しく理解してこの記事を書いているとは思っていません。とんでもなく曲解している可能性があることを、お断りしておきます。



1.メンタルは、早く倒れた者勝ち

 
 研修企業に勤めていたころ、企業の人事部門の方と従業員のメンタルヘルスについてお話しする機会が多々ありました。私自身も企業の人事部門で病期休職者の復職支援をしていた経験があり、切実な話題でした。 

 ある人事担当の方が、「こんなこと、言いたくないんですけど」とためらわれた後に、ボソッと口にされた

「メンタルは、早く倒れた者勝ちなんですよね」

という言葉が、強烈に頭に焼き付いています。

 ある職場でメンバーAさんが過労からウツを発症して休職に入ったとします。このとき、一般的には、代替要員は配置されません。
 どの企業もギリギリの人員で回しているからですが、それだけではなく、休職者への配慮もあります。休職者は復職を期待されています。職場環境がウツ発症の原因である場合を除けば、元職場は復職先の有力候補です。

 Aさんが担当していた業務は他の皆で分担することになります。しかし、緊急事態なのでAさんの業務を精査して適切な分担を決める余裕はありません。どうなるかと言うと、ボンとまとめてBさんに回るのです。
 
 Aさんを過労に追い込んだ仕事を、Bさんはこれまでの業務に加えて引き受けるのですから、それは大変な負担です。あまり時を経ずしてBさんも過労で倒れてしまうことが、現実に起こります

 次に、Bさんの仕事を引き継いだCさんが倒れ...…と、最悪の場合、将棋倒しの危険性もあるのですが、そこまで行った事例を、私は見たことがありません。
 職場の危機的状況なのでAさんとBさんの業務が徹底してスリム化され、必要に応じて非正規の労働力も投入され、将棋倒しには歯止めがかけられます。
 
 しかし、Aさん、Bさんが抜けたあとに残されたメンバーの負荷は大変に重く、辛い日々が続きます。

 「メンタルは、早く倒れた者勝ちなんですよね」とおっしゃった方は、Cさんの位置で雪崩かかる仕事を食い止め、職場を救った人でした。それだけ、大変な思い、辛い思いをなさったのです。


2.実は、誰も勝っていない


 しかし、Aさんは、本当に勝ったのでしょうか? 人事経験者の私からすると、全然勝っていません。休職期間中は収入が減ります。企業は厳しい競争社会です。休職期間のブランクは、Aさんの今後に不利に作用します。Aさんは、全然勝っていません

 職場を将棋倒しの危機から救ったCさんは、会社から高く評価されます。それは、会社が機能集団である以上、公正で当然のことです。
 しかし、その一方で、Cさんが心身を消耗させ家庭生活を犠牲にしている可能性も大いにあります。
 社内評価だけをみれば勝っていますが、ワークライフバランスという観点からは、本当に勝ったのかどうか微妙です

 私は、過労ウツが起こるような職場では、結局は誰も勝てないのだと思っています。
 過労ウツの発症に個人差があることは確かです。比較的脆弱な人と耐久力のある人がいます。したがって、仕事は強くて耐えられる人間で回していけばよいという考え方もあります。
 しかし、そういう考え方だと、仕事を任せられる人が限定されるので、採用・育成・配置のコストがかさむことになります。
 
 私たちは、企業が優秀な人材を採用・育成するシステムを高く評価しますが、特別に働き手を選ばず、誰に任せても仕事がうまくできてしまうシステムがあったとしたら、そちらの方がもっと優れているのではないでしょうか?

3.「誰も頑張らない」という選択肢


 ここで、頑張り抜いたCさんに目を戻しましょう。Cさんの立場で、会社からの評価を第一の動機付けにして頑張れる人を、私は見たことがありません。第一に職場の仲間のため、第二に自分の能力に対する誇りから頑張る人がほとんどです。それは、働く者にとって、大切で、尊い心の在り方です。
 
 しかし、そうして頑張ることによって、仕事は強くて耐えられる人間で回していけばよいという考え方を支持する結果になることも否定できないと思うのです。
 
 Cさんも早々に白旗を揚げてしまうほうが、仕事の仕方が抜本的に改善される契機になるかもしれない……などと、思ってしまいます。

「誰も頑張らない」ことが本当の正解ではないのか?

 なんという怠け者だとお叱りを受けそうですが、実は、私たち勤労者は、過去に「誰も頑張らない」という選択肢を行使することで、労働条件を改善させてきているのです。

 労働組合とストライキが、それです。近代工業社会がスタートした19世紀後半から20世紀初めにかけて、工場労働者の圧倒的大多数は、農村で耕す土地を失って都市に流入した人々でした。こうした人たちを使い倒すのは実に簡単でした。
 使い倒されないために、当時の勤労者が選んだのは、労働組合を結成して、雇用主が示す労働条件に納得できなければ、ストライキを打って「誰も働かない」という実力行使をすることでした。
 言うは簡単ですが、行うは大変なことです。だって、ストライキ期間中は無収入になってしまうのですから。その間事業が止まってしまう雇用主との我慢比べです。雇用主側、勤労者側が暴力に及ぶことも稀ではありませんでした。

 私たちの先人が、この《「誰も頑張らない」闘争に頑張った》ーー変な言い方ですがーーおかげで、勤労者の安全と権利を守る労働法が制定され、私たちはその恩恵に浴しているのです。これは、常に頭の片隅に置いておいて良いことではないかと思っています。

 

4.個人の極端な頑張りに依存しないようにしよう


 話がやや極論に流れました。私は、目の前の危機的状況に対して、関係者が一斉に白旗を揚げて逃げ出して良いと言っているわけではありません。そんなことをしたら、壊滅的な打撃をこうむって、立ち直れなくなる危険があります。

 そうではなくて、仕事の仕方や世の中の仕組みの中に個人の極端な頑張りに依存している部分があったら、その部分は、誰でも担える形に変えていくことが望ましいと考えているのです。

 そんなことをしていったら、個人が光る場面がなくなってしまうと心配する方もいらっしゃるかもしれませんが、私は、その心配はないと思っています。人間は、なんだかんだ言っても、頑張ることが好きで自分への誇りと周囲への責任感を持った存在だと、私は信じているからです。

 とりとめのない話になってしまいましたが、ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。



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