あたり前に休もう
プライベートで有休を使うとき。子どもや家族が熱を出して休むとき。体調が悪くて休むとき。
私たちは躊躇う。
休まずに頑張っている人が讃えられる日本の風潮。
私はどちらかというと休みがちなので、同じ職場の人には「頭が上がらない」のだが、そもそも休まないことが正義で休むことが悪なのか?
“この「頭が上がらない」から、休みにくい。”
をどう打破するのか。
答えはシンプルだ。
みんな、あたり前に休めばいい。
なんのための有休だ?
体を休めることはリフレッシュとなり、仕事にも良い影響を与える。
子どもや家族が熱を出して休むとき。あわてて仕事の調整や引き継ぎをする。
私の夫の場合は、聞いてすぐに「無理。」がいつものことだった。職場に聞きもせず、1秒後には「無理。」の一言。
なぜだ?
私はまず、親に連絡する。休めないか調整。それが難しければ職場に連絡する。頭を下げる。引き継ぎをする。状況の確認や、私がいなくて代わりにしてもらいたいことをお願いする。そして休む。
ここまでした上で、今回のイベント的に、スケジュール的に「どうしても無理。」は否めない。
なのに、なぜ「無理。」と即答できるのか。
根底には、「そっち(女)の方が休みやすいでしょ。」があるのだ。
いや、「休みやすいんじゃなくて、休むための作業をしたか、してないかだよ。」といつも思う。性別が逆であればできることを、怠っているのはあなただ。
自分が体調不良のときも同じく。熱があっても、周りに迷惑がかかるから無理して働く。
これを選択し続けていては、いくら休みやすいための政策ができても、熱があっても出勤しないとまわらない職場が完成するのだ。
みんな、休みたいときに休めばいい。
みんなが、自分の権利で当然に休んだ上で、はじめて、その状況が想定された上での人材不足の解決、その人が休んでいても回せるような適切な労働量など、働きやすい体制が整っていくのだ。
男女平等を謳い、有休の取得率が低いのを問題に上げ、政策は以前より進められている。
けれども、根本は、みんながせーので「あたり前に休む」を選択しなければ、何も解決しないのだ。
周りの目を気にして休めない。
日本の悪いところだ。その周りの目を作っているのは誰だ?
自分たちだ。
本来、休むことに理由なんていらない。
熱がなくても、体調が悪くなくても、なんの用事もなくても、堂々と休んでいいのだ。
せーので、あたり前に休もう。
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