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ぺりとんとん_第1話

白い木に実が成っている。
それを取ろうとしたけれどあとビー玉一つ分だけ手が届かない。
何度も手を伸ばしているうちに実が大きくなって、
後3回トライしたら辞めようと思ってから2回目で手が届いた。
触れてみると思っているよりも少し冷んやりしていて、
それを持った手だけが夏の海辺でコーラの缶を持つあの瞬間にいる様だった。

僕はしばらくその実を眺め続けた。
中身が気になったけれど、あんまりにも綺麗な実だったので
ついにはその皮を剥くことはしなかった。
しなかったというよりは「できなかった」の方が正しい表現なのかもしれない。
一度眼を瞑って深呼吸する間に、その実は朽ちてドロドロになり、
液状になったかつて実だったものは僕の指の間をすり抜け地面に逃げる様に落ちて行った。

僕は気にしなかった。
手が汚れているのが嫌になったので、すぐに近くの公園で手を洗おうと歩き始めた。

その日は晴れていた。それなのに風が強くとても寒かった。
目に見える景色と肌で感じる温度が違いすぎて、
少し気を抜くと気が動転してしまいそうだった。

考えちゃいけない。
気にしちゃいけない。

そう念仏を唱えながら4、5分が過ぎた頃、僕は公園にいた。
一瞬、何故ここにいるのか思い出せなかったけれど、
来た道を振り返るとドロドロの液が大きなミミズの様に1本の線になって遠くから足元まで繋がっていた。

「そうか、手を洗いに来たんだ。」

僕はハッと我に返った。
水道を探したけどどこにもない。
そんなわけあるかと隅々まで探した。
パッと見ればわかるはずだが、その時の僕はなぜか今見える公園の景色を信じていなかった。

「どこかにあるはず。」

誰かに言うと頭がおかしくなったと思われるかもしれないと思ったので、
SNSには書かないで一人でこっそりと蛇口を探した。
砂場、ジャングルジム、鉄棒、ブランコ、
公園と道路を隔てる少し太った小学生くらいのコンクリートの円柱、
どこを探しても無かった。
疑い半分ではあったものの、自分の予感が外れたことには多少落ち込んでいた。

いつしか強い風は止み、あたりは暖かくなっていた。
周りに誰もいなかったので、いつもは絶対にしないのに公園の真ん中で寝転がってみたいという衝動に駆られた。
衝動と行動はほとんど同時だった。気がついた時にはもう手を万歳にして地面と背中をくっ付けていた。
蛇口を探していたことなんてその時にはもう忘れていた。
なんなら手の汚れのことすら頭からは消え去っていた。
ほんのわずかに湿った土の中から蟻達がひょっこりと現れて
カピカピになった僕の手のドロドロに集まっている。
(こう言う時それを”カピカピ”と呼べばいいのだろうか
”ドロドロ”のままでいいのだろうか。)

僕に気を使っているのか、それともバレない様にコソコソしているのか、
蟻達が僕の手を痛めたり痒くすることはなかった。
僕は寝転がりながら首をのけぞって”カピカピ”を回収する蟻達のチームワークを眺めていた。

ここにも世界があった。

音も表情も言葉もないのに、なんらかの言語が僕の中に入ってきている感じがした。
それは不思議な体験ではだったのだが、
目に見える景色と肌で感じる温度が違ったあの時の様に気が動転する兆しはなく、
すんなりと受け入れることができた。

「失礼しやす、ちょいと頂いていきやすよ。」

30を越えて蟻に向かってそんなアテレコをしている自分が恥ずかしくなったのか、
僕は体を抜け出して地面に寝転がる自分を俯瞰し始めた。

地面に寝転がる僕と手に列をなす蟻達が奇妙な地上絵を作っていた。
あたりに生える木や公園の遊具も含めて見てみたいと思った僕は
調子に乗ってどんどん上へと浮いて行った。
浮くのには意外と時間がかかった。
公園に生えているマンションの3階くらいの高さの木の天辺に来るまでに1分くらいかかった。

「おー、結構高い!」

興奮しながら地上絵となった自分と蟻達をしばらく眺めていると、
一番近くの木の茂みの奥に太陽光に反射する何かに気が付いた。
枝と葉をかき分ける必要もなく、中に入っていけた。
今の僕はなんでもすり抜けられるらしい。
ちょうど木の幹の部分のところに発光する物体が見えたのでそこまで行ってみた。

そこには僕がこの公園に来た頃に探していた蛇口があった。

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