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自分が正解やと考える破滅

理気二元論ってのがある
中国宋代の儒学で唱えられた哲学説です
宇宙は根本原理である理
質料としての気
この両者が相伴って万物をなすという説
北宋の程頤(ていい)に始まり、
南宋の朱熹(朱子)によって大成

ま、堅っ苦しい説明は置いといて
簡単に言えば
 って変わるものです
主観的なもんで、柔軟に変わる
気持ち、天気、気分とかね

 って変わらないものです
客観的なもんで、固まってるもん
理屈、理論、理科、理由とかね

でね、
これらはどっちが優れてるとかじゃなくて
どちらも大事なんですよ
ってのが
理気二元論の視点です

これは言い方変えれば
エモーショナルとロジック
感情的と論理的
文系と理系
みたいに、
まぁ視点は違えど様々でてくるんですよね

みなさんも
感情が多いのか
論理が多いのか分かれると思います

今日のつぶやきでも言いましたが
不倫に対して
善か悪かみたいな、
許せるか許せないか、みたいな発想は
感情論的です

不倫というモノを深くまで追求しようとするのが論理的です
動物に不倫はあるのかとか、
一夫多妻ってあるよねとか
誰が一夫一妻って決めたんやろとか
そうやって不倫から
道理を深めていく工程を踏む思想です

中世って
説明できないような事が起これば
すぐに祟りとか呪いとか魔法とか神様とか
エモーショナルな人間が主観的に創造する世界でやってました。
雷の事を本気で死者の怒りと考えていた事もあるし
その怒りを抑えるのに占いや呪術や寺や神社に祈祷に頼った。
神頼み、、ね。

しかし、 
近代では一気にエモーショナルな世界線は否定されます
人間中心主義→ヒューマニズムとかもでてくる。
つまり、人間様は合理的であり
科学をもってすべて証明できる。と
中世大批判ってやつで、
雷は祟りとか恨みとか何言ってるん?
電気ですけど?アホですか?

ってノリでどんどん原理を説明ができるようになっていきます。

がね、 これも今日のつぶやきでも言いましたが
二元論は基本的には分断を生むだけです。

感情論の人も
論理的な人も
問題な事が1つ

自分が正解と思考している事

です

戦争とか、喧嘩とか、揉め事は基本的にはだいたいこれが根底にあります。
討論です
つまり、勝ち負けを決めるって視点

逆説で言うとわかりやすいかもです

相手はどう考えるてるんやろう?

ってお互いがなっていれば
戦争と喧嘩ではなく、話し合いがしょうじます。
議論です
つまり、お互いの考えをアップデートしようという視点

そら後者の方がいいですよね。
戦争も喧嘩も結果として、お互いがダメージを負うことになる。

やから、僕のように
本来世の中は何もない
と思考するようなニヒリズムには
二元論がないからこそ
他者と喧嘩にならないのです

僕と会話する相手が 
感情論であろうが
ろ論理的であろうが僕には関係ない。

ただ、相手の思想に興味をもつだけ

ですから。
喧嘩がおこりようがないのですよ

よく、
自分の考えを持ちましょう!
とか
自分の意見を持ちましょう!
とか、言いますが
それはそれでいい。

が、
間違えればすぐにイデオロギーをもち
自分が正解やと思考してしまうリスクがある。

占いが好きでもいいし
感情論でもいい
神様信じるのもいい
幽霊を信じるのもいい
オカルト好きもいい
陰謀論者もいい
なんでもいいんやけど、
とにかく

自分が正解と思ってるなら
あなたは確実に勉強不足

それだけのこと

人間ならば
喧嘩とかせずに、

話し合って解決してくれ。










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