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『3人』が辛い人達へ。

3人が辛い人達へ

個性溢れる大好きな友人達。
それぞれ個々ではゆったり過ごせるのに3人となると急に周囲の酸素が薄くなる。胃が痛む。ような気がする。
近づくカレンダーの赤マルが“私”を少しづつ削っていく。
そんな、一対一は得意なのに「3人」を苦手とする人達へ。

あなたって相手の歩幅に合わせられる柔軟な人なんだと思うんですよね。
でも、よく「なんでもいいよ」って言っちゃいがちじゃないですかね。
そして、ちょっぴり自信無さげで、「嫌われたくない」人なのでは無いだろうか。
なんて。断定は避けたいけど、しょうがない。
この思考モデルが実際にいるんだから。


「…私です。」


柔軟な人だなんて、なんだか素敵に言ってはみたものの選択権を相手に押し付けて責任回避とも言える。
「何食べる?」で思わず口癖の「なんでもいいよ」が出てしまう。
相手の提案に乗っかるカタチでの楽しみ方もシンプルに好き。新たな発見との遭遇。わくわくする。ただ自分が提案できないのは、それが相手にとって心躍るものでなかった時の恐怖を前もって想像してしまうから。
要するに自分に自信が無いのだ。自分の発案にも。自分の発言にも。
もし私が行こうと言った先が美味しくなかったら…とかね。考え出したら止まらなくて。
そんなんで嫌われること無いのに何を怖がっているんだろう。という話。
一般的には「次は無いね!」とか言って笑い飛ばすんだろうか。

そうやって自分の意見を表に出せずにいると、3人は非常に難しい。
AとBの均衡を取ろうと必死になるから。
この2つが両極端にいる場合なんて最悪で、私が目指す先はこの中間。
折り合いをつける地点はどこだ?そんな詮索でその日のエネルギーを全て使い果たす。
つまり消費量がバカにならない。
これを繰り返し、どんどん「3人」がトラウマになっていく。

どうすればよかったのか。考え、考える。

そして出す答え。私のトラウマ「3人」の克服には「個の確立」が必須だと。
AとBを足し、2で割って答えを導き出すのではなく、私のCを伝えること。
繊細さが邪魔をして、相手の様子を伺うのは、一旦置いておこう。
深呼吸したら、いざ自分に問うてみる。

「私はどうしたいの?」

そうやって話し合う。AとBとCを持ち出して。
Cに決まらなくったっていいんだ。目指すのはそこじゃない。
「3人」を克服するプロセスで重要なのは2つの間を探すのではなく、私の心が通ったもう1(ひとつ)を提示すること。


少しトラウマを抱えた中で、自分なりに抜け出し方を思考し続けた数ヶ月。
カレンダーの赤マルが近づく中で、感じるワクワクと緊張。
3人のうち“私”が霞んで消えてしまわないように、次は少し変われるかなと期待しながら。

赤マルの当日。テイクアウトのコーヒー。手に持つのは3人それぞれ違ったカップ。
AとBとC。ちゃんと言えた。自分が飲みたいもの。
きっと他の人からしたらしょうもないこと。それでも私にとっては立派な成功体験。
コーヒーを購入して再集合。友人が言う「みんな別の店で買うって面白いね。」
ほんとそう思う。それでいいんだ、私達は。
ちゃんと私もみんなと肩を並べて歩いている。
“私”として今この時を楽しんでる。
それがとっても嬉しかった。

次は私から集まろうって声かたりなんかして。
もちろん3人で。

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