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東京の地下鉄の出入口 約〇〇箇所をめぐってみた話 ~あなたの知らない地下鉄出入口の世界~

どうも、長沢です。そろそろ年末ですが、皆さんどうお過ごしでしょうか。私は今年一年、正確には3月から11月までの約半年強ですが、東京中を歩き回って「地下鉄の出入口」とを見て回るというのをやってきました。今回はまず、そもそも地下鉄の出入口は面白いですよという話と、色々な出入口を見て気づいたこと、そしてそれを今回冬で年末のコミックマーケットの新刊として図鑑形式にして発表しようと言うふうに考えています、と言う告知をしたいと思います。

皆さん地下鉄の出入り口と言うと、どんなものを思い浮かべるでしょうか?例えばこういった柱が4本あって屋根がついていて、その上に何々駅と書かれたこんな形の写真のような形のものをイメージするかもしれません。

ところがですね。例えば柱の数だけを取ってみても、池袋駅に立っているものは柱が3本だったり、霞ヶ関駅に立っているものは柱が6本だったりと結構いろいろのバリエーションがあるんですね。もしくはこの大手町なんかは柱が本しかなくて、まぁまるで現代美術館に飾ってあるようなオブジェのようなそんな外観のものもあったりします。

現代美術と言えば、飯田橋駅にもこんなすごい出入口があるんですよ。これは度々雑誌で取り上げられたいとかもしますので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、他にも大江戸線には尖ったデザインの出入口が色々あります。同じ役目を持つ構造物に対して、これだけの振れ幅があるという面白さを実感いただけたんじゃないでしょうか。

ところで、東京中に「地下鉄の出入口」というのは、一体何箇所あるか想像がつくでしょうか。今回、地下鉄の出入り口と言うのは東京メトロと都営地下鉄はこの2つが運営している13の地下鉄の路線の駅の出入り口を対象にしています。

駅の数が、およそ205駅。曖昧な言い方なのは、例えば赤坂見附駅と永田町駅みたいに、別の名前なのにくっついていたり、逆に本郷三丁目駅みたいに同じ名前なのに離れていたりするので、数え方によって多少誤差が出るからなんですけれども、私の数え方だと205の駅があります。そして出入口の数と言うのも、例えば階段とエレベーターを別々にカウントするかとかによって誤差が出るんですが、大体1300箇所あります。その1300箇所を約今年の3月から11月頭まで8ヶ月ほどかけて回ってきたと言うのが、今年の私の取り組みだったわけです。

世相をきっかけにした発想

では、どうして地下鉄の出入口に着目したのか?という点ですけれども、ここには背景に2つあります。一つは生成系AIの台頭、もう一つはリオープンです。よくわからないと思うので順を追って説明します。

まず1点目について。この数年ほど生成系AIが話題になってますけれども、その中で私が感じたのは「いろいろな物事を知ったかぶりするのが簡単な世の中になってきた」という点です。生成系AIの力を借りれば分量のある文章も整理してくれますし、それっぽい解説文も書いてくれますよね。まぁ生成系AIが話題になる前からも、YouTubeとかで専門家の人がわかりやすく解説してくれる動画っていうのがたくさん作られたりですとか、「わかりやすい〇〇」といった本が出てきたりですとか、何かを解説するものが世の中に溢れて便利な世の中になってきたわけですが、それって裏を返すと、段階を踏まずに表面的な理解だけをしても、知ったかぶりが簡単にできてしまう世の中になってきたんじゃないかなというのを感じています。

そう思った時に何が大切なんだろうと考えると、たくさんのものごとを単に知っているだけでなくて、実際に歩きまわったりとか見聞きして感じたものとか、そういった生々しい体験というのが説得力を持つんじゃないか、そういったものが実は重要なんじゃないかと思ったんです。

もう一つはわかりやすくて、やはりコロナ禍の影響でこの数年、運動をしていなかったので、体を動かそうと思ったわけです。できれば近場でたくさん歩き回れるようなことが出来ればいいなと考えていたときに、ふと、うちのサークルの既刊で東急東横線をテーマに本を作った時に、渋谷駅の地下を解説すると言うコーナーを作ったことを思い出したんですね。それを見たときにこれを東京自由の地下鉄の全部の駅であったら面白いんじゃないか、という発想になったわけです。これならば階段上り下りとかもあるので運動にもなるし、生成系AIには絶対に作れない本ができるなと思ったので、これをテーマにしてみようと思ったわけです。

実際に3月から回ってみて、冒頭にお話ししたような柱の本数の差ですとか、他にも立地の面白い出入り口を見つけたいですとか色々な発見がありました。最初から図鑑形式の本を作るというのをきっちり決めて回ったわけじゃなくて、まったくの手探りだったんですが、3月から各駅を回り始めて4月に入った頃には、出入口の写真をずらっと並べたら面白い本ができるだろうなぁと言う実感を得たんですよね。その確信を徐々に固めていった、そんな面白い半年だったなぁと思います。

実際に回ってみての感想

ところで、出入口自体に対する感想は後でご紹介するとして、それ以外の感想を3つ挙げたいと思います。3つ目が何だこれと思うと思いますが、1つ目から順に説明します。

まず1つ目はわかりやすいと思うんですが、この頃って世の中的にはちょうどコロナ禍からのリオープンだと言っていた時期でした。で、実際に町を歩くと、確かに日に日に人通りが増えていたんですね。まあ世の中が元気なのは喜ばしいことなのですが、その一方で、思いもよらないところで人通りが途切れずに写真が撮れないという事態が起こります。夏頃には人通りが途切れるまで20分待ち、それでも人がいなくならなくて他の場所を回ってから再訪問、みたいな、そういった悩みも抱えつつの調査になりました。

二つ目に実感したのは、東京というのは色々な側面を持った街なんだなあということです。正直なところ、今まで縁が無くて今回初めて行った街もたくさんありました。東京の中には地下鉄が走っていないエリアもありますが、それでも皇居の前から渋谷の路地から商店街のど真ん中からウォーターフロントまで色々な場所に約1300ヶ所の出入口があるわけで、東京中の色々な場所に対して「ああ、あのあたりね」と土地勘が出来たのがよかったなぁと思いました。

あと、問題の3つ目ですね。これは西船橋駅の南口のエレベーターを撮り忘れたことに気づいて、11月頭に撮り直しに行った時の話なんですが、午前10時過ぎから20分くらいエレベーター待ちの人が途切れなかったんです。それで、エレベーターを待っている人を眺めていたらこれが結構色々で、杖をついたご高齢の方、ベビーカーを押した夫婦、大型のキャリーバッグを引いた人といった感じで、一昔前だと体が不自由な人のためにエレベーター、ということがよく言われていたと思うんですが、最近は子育て支援とかインバウンドとか、色々な面でもエレベーターが求められているんだなということを実感しました。まあ、キャリーバッグはエレベーターじゃなくて別の方法で荷物を運べばいいんじゃないか、といった考え方も出来ると思いますが、現状としてはエレベーターが色々な役目を背負い込んでいるわけです。

さらに言えば、最近はエレベーターを既存の出入口の近くに設置できなくて、ちょっと離れた場所に設置する例、極端な例だと既存と出入口の逆側にエレベーター専用改札と専用口を置くケースが出てきています。そうすると、近いからという立地上の理由で使う人も出てくるんですよね。階段が併設されていたら階段を使うのにね、という。とはいえ、そういう人たちに階段までまわり道して下さいと言うのも難しいでしょうし、エレベーターの設置方法って難しいなと感じました。

出入口の歴史:画一性から個性へ

さて、ここからは地下鉄の出入口の外観の変化という話をしてみたいと思います。大まかに分けると4つの時期に分けることが出来ます。ここではまず東京メトロ、その前身の営団地下鉄と、そのさらに前身の東京地下鉄道と東京高速鉄道のデザインの変遷から見ていきたいと思います。

まず1つ目の段階は地下鉄が開業した当初のことで、この頃の出入口の代表例が浅草駅の出入口4です。戦前の開業当時のデザインを残しながら現役の地下鉄の出入口だということで、ちょうどこの11月に有形登録文化財に指定されています。他にも、稲荷町駅の出入口3とか、あと復元ですが田原町駅の出入口1・2にも当時のデザインに触れることが出来ます。結構色々なデザインがあって、地下鉄の出入口のカタチを色々と模索していた様子が伝わってきます。

実際に「東京地下鉄道史」という本を読んでみると、「停車場の出入口の上屋はなかなか問題のあるものであり、就中重要なものは都市の美観上の問題と周囲店舗の見透かしとである(中略)我国に於ては降雨量、出入口の幅員、乗降客の服装等の関係上上屋が必要となる」と書いてあり、景観を考えると屋根は造りたくないけれども、天候を考えると造らないといけない、というジレンマを抱えていたことがわかります。

しかし、地下鉄の建設が進むにつれて出入口の形状は一つの型が出来ていきます。それが側壁、柱、屋根の3点で構成される上屋で、ここから2段階目の「画一の時代」に入っていきます。

実は一度、戦前の時点でもすでにこの段階に達していて、東京地下鉄道の銀座駅や東京高速鉄道の虎ノ門駅でも側壁、柱、屋根の3点で構成される上屋が建てられていたようです。が、戦後また少し模索の時期に戻っていて、冒頭で紹介した柱3本タイプの池袋駅の出入口34ですとか、柱6本タイプの霞ケ関駅の出入口A2などが登場しています。しかしこれも柱4本タイプに収束しいき、多少のイレギュラーは発生しつつ、また材質や工法が変わったりしつつもスタンダードとして君臨し続け、1990年に開業した水天宮前駅でもこの柱4本タイプを見ることが出来ます。

この状況に変化が出てきたのは、東京メトロ管轄だと南北線が開通してからです。「変化の時代」と命名しましたが、例えば王子駅出入口1のように南北線に導入された出入口は、ガラスを多用したりドーム状の屋根を採用したりと、過去からの変化をしようという意思が感じられます。

今な感じで外観が一変した一方で、この形の出入口って、南北線の最初に開業した区間から最後に開業した区間にある白金高輪駅まで、南北線の色々な駅で見ることが出来ます。要するに、形は新しいものを求めているんだけれども、この段階ではまだ「各駅に同じデザインの出入口を建てていく」という方針は変わってなかったといえます。この点では、まだ前の世代からの名残が感じられます。

それが半蔵門線押上延伸区間、副都心線と進むにつれて、営団も各駅で違う出入口を建てる方向にシフトしていきました。2004年に営団地下鉄が民営化されて東京メトロになっても、現在に至るまで同じ流れが続いています。ここでは「個性の時代」と書きましたが、まさに各駅の個性が面白い時代になってきています。

ここで取り上げたものだと、特に真ん中の銀座駅が凝っていて、夜の賑やかさをイメージして出入口が写真のように光るようになっています。しかも、銀座線に近いところは黄色、日比谷線に近いところは白、丸ノ内線に近いところはピンクと、エリアごとに光り方も変えているのが面白いところです。

さて、ここまでは東京メトロの話をしてきましたが、都営地下鉄のほうはどうなんだというと、実はこれも似たような変遷をたどっています。

東京メトロ側と同じように4つに時代を分けてみると、まず1つ目の時期は浅草線の開業から三田線の初期のころくらいが該当します。ここで取り上げた東日本橋駅の出入口B1は屋根の形が緩やかなV字型になってまして、じっくり見ると凝った作りになっています。こんな感じの少しひねりの利いた出入口が、浅草線の北半分とか三田線の板橋区内の駅とかで見ることが出来ます。

一方、三田線の内幸町駅とか芝公園駅とかになってくると、営団に似た柱4本タイプの上屋が登場してきます。ここからが第2の時期に入ります。ただし、営団側と異なるのは、歩道上に出入口を置く事例が少なくて、柱4本タイプの上屋が登場する機会はあまり多くなかったということです。代わりに新宿線では、赤茶色とアイボリーを組み合わせた出入口を色々な駅で見ることが出来ます。「新宿線フォーマット」と名付けましたが、この配色の出入口が大島駅から西側の各駅に分布しています。

ところが、大島駅から東へ向かうにつれて変化が見えてきます。まあ、大島駅の隣の東大島駅は、そもそも地下から飛び出して地上の駅なのでデザインが違うのは当然として、その次の船堀駅では、出入口周辺こそレンガ調のブロックで固めているんですが、2階部分の壁面に金魚の絵が書いてあります。江戸川区の名物が金魚だから、ということだそうで、ご当地性が入ってきます。次の一之江駅になると、配色が全く変わってアイボリーが主体になります。というか、そもそも駅出入口じゃなくて、駅ビルになってしまっています。で、このビルの右上に何かついていると思うんですが、これが鯉をモチーフにしたレリーフで、ここでもご当地性というのが入ってきています。「新宿線フォーマット」からご当地レリーフへ、各駅ごとに個性を出していこうという方針に変化していったのが見て取れます。

この点では、営団よりも都営地下鉄のほうがリードしていたと言えると思いますし、これが大江戸線の各駅ごとの個性のあるデザインに繋がっていったのかなとも思います。

ところで、少し視点を変えると、ちょうど今の時期は古い出入り口がどんどん姿を消して新しいものに建て替えが進んでいっている時期だともいえます。昭和の昔ながらの出入口と、最新の個性的な出入口、その両方を見ることができるのは、今が最後のタイミングかもしれません。

そしてこれは本当に、偶然のタイミングですが、この11月に浅草駅の出口4番と御茶ノ水駅の出入り口2番が登録有形文化財に登録されました。この流れがこの後も続くか分かりませんが、地下鉄の出入口と言うものに目が向くきっかけになればいいなぁと思います。

おすすめの出入口

ところで1300箇所も見て回ると目も肥えて、「お気に入りの出入口」とか「おすすめしたい出入口」みたいなものも見つかります。ここでは4か所ご紹介したいと思います。

まずご紹介したいのは乃木坂駅の出口3番。この辺は地形がややこしくて、まぁ地名に坂とつくことからわかると思うんですけれども高低差があって、南北に外苑東通りというのが陸橋の上を走っているんですけれども、その真下をくぐるように乃木坂トンネルの出入り口があります。出入口3は、ちょうど乃木坂トンネルの出入り口の横と外苑東通りの歩道の間にある階段のその途中に位置するような出入り口でなので、外苑東通りの道から見ると半分中に埋まったような形で出入口が存在しています。

一方の乃木坂トンネルの横から見ると、階段を上がった場所にこの出入り口があります。写真を見ていただけるわかるように、なんだか結構不思議な空間が広がっています。この空気感がたまらないですね。私はこの出入り口を推しておりまして、できれば世の中の皆さんが乃木坂と聞いたら、46と言う数字の次に3が思い浮かぶような状態にしたい!というのが私の野望です。

立地つながりでいいますと、もう一つ面白いのが新板橋駅の出入口1番です。ここはですね。出入口を出て右手に出てくるっと振り向いてみて下さい。するとですね。階段の下に街が見えます。地下からの階段を登ってきたと思ったら、いつの間にか見晴らしの良い丘の上に出ていたような、そんな不思議な感覚になれる出入り口です。

種明かしをすると、この入り口は面している通りと言うのは中山道なんですけれども、ちょうどこの辺で埼京線をまたぐために立体交差なっているんですね。なので、道路自体が周りの街並みから少し持ち上がった状態になっていると言うわけです。ただ地下鉄の入り口と見晴らしの良いと言うのは、なんだか面白い組み合わせだなぁと思います。建物自体もちょっと古風な役所的な建物なので、そちらも見ごたえがあります。

そして、3つ目に取り上げたいのが北千住駅の出入り口1番です。ここはですね。周辺の雰囲気と合わせて楽しんでいただきたいんですが、飲み屋さん街といった雰囲気の細くて曲がりくねった道でして、地下鉄の出入り口があるような感じはあんまりないんですね。そんな中に立っているこの入り口が1番ですが、1歩足を踏み入れてみると、まず目に飛び込んでくるのが隣のお店のお酒の棚なんです。かなりディープな雰囲気がするかなぁと思いますが、これはこれで周りの雰囲気にマッチしていて、とても面白い出入り口だなぁと思いました。

4つ目は少し視点を変えて南砂町駅の出入口2aをご紹介したいと思います。ここの特徴は、入り口の手前に広がる階段です。よく見ていただくと、出入口の建屋の内部にも、階段が設けられていることがわかると思います。なんでこんなに階段が多いのかそのヒントは入り口の左手側面をよく見ていただくと掲示物がありまして、そこには海抜-0.6メートルと書かれています。

お気づきの方もいらっしゃると思うんですが、南砂町とかこの辺というのは浸水の災害が起こる可能性というのが考えられているわけですね。地下に水が入っていかないように、こうやって階段を作って備えをしているわけです。 ご当地性と言ったら大げさかもしれませんが、そういったものも出入口の見た目に現れてきていると言うのが興味深いところかなと思います。

他にも出入り口の建物や造形自体が面白いとかかっこいいものもあります。よりこれまであまり着目する人がいなかったということで、これだけの数のものを外観すると言うのが、この本がおそらく初めてと言っていいんじゃないかなと思います。もしかすると東京メトロとか地下鉄の人も自分のとこの出入り口は把握してるかもしれませんが、お互いの出入り口の事は把握してないかもしれませんし、そういう意味で非常に貴重な本ができたなぁと思っています。

さいごに告知

それでは最後に少しだけ、今仕上げの作業中の実際の本も紙面をご覧いただきましょう。非常にシンプルに一面に出入り口の写真をずらりと並べて、その下に簡単なコメントを書いている、といった構成の本です。まさに図鑑ですね。

約1300か所、ページ数で言えば、200ページほどの分量になる予定です。今Instagramのほうにいくつかかいつまんで写真を投稿していってますが、Instagramの画面だけでもずらりと並んだ姿は圧巻です。これが本になるともうすごい光景になるなと思います。圧倒的な分量をぜひ楽しんでいただけたらと思います。

なお、こちらはコミックマーケット当日の頒布のほか、メロンブックスさんでの書店委託をお願いしてありますのでご活用ください。

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2166471


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