見出し画像

#7 兄との電話、私たちの道。

思うところがあってしばらくnoteから離れていたが、また少しずつ投稿していくことにしようと思う。
.
.
.

懐かしい時間

兄の誕生日にメッセージを送った。

兄の就職とわたしの進学で同時に実家を出て4年とすこし。いつも家族問題のことになると世界で唯一味方になってくれていた兄とは、お互いの考えや親の情報共有が日常茶飯事だった。

だけど兄と距離ができたことによって、以来ずっと疎遠になっていた。

物理的な距離感もそうなのだが、
兄は就職を機に両親に対していわゆる「大人な対応」を取るようになり、私たちを傷つけ続けた親への批判的な意見を述べなくなった。

「兄は大人に染まってしまったのだ。もうわたしの味方ではないのだ…。」
正直、わたしにとっては心理的な距離感の方が大きかった。

そんな兄へ送ったメッセージは、お互いの軽い近況報告で終わるかと思われた。が、そのうち電話になり、次第に深い話までするようになった。

5年前まで当たり前だった時間。
懐かしくて嬉しかった。


兄の選んだ道

幼少期の思い出や思春期の思い出を共に振り返るなかで、わたしの知らない事実がたくさん出てきた。

当時の兄の視点、
わたしの知らない兄の人生、
兄だけが知っていた親の話。

立場や年齢的に当時できなかった話、知り得なかった話はとても新鮮で、かつ衝撃的だった。

中でも印象的だったのが「兄の決断」である。
母の繊細で感情的な性格と、父の頑固で感情的な性格の間で苦しんでいた私たちには大きく二つの道があった。

1つは、
(望ましい親子関係への希望をあきらめず、)両親の在り方に正面から立ち向かい、(両者が何度衝突を繰り返しても)戦い続けること。
もう1つは、
(望ましい親子関係への希望は全て切り捨て、)両親が望む親子の服従関係を受け入れ(るかのように演じることで)、平和(に見えるよう)な状態を手に入れること。

わたしは前者だ。
毒親である彼らが目を覚ますのは99%不可能だ。ほとんど諦めているし、時間の無駄だという人もいるだろう。だが、わたしがあえてあと1%を残している理由は、まだわたしが彼らの扶養内にいるというところにある。

わたしが完全に経済的独立が果たせれば。
彼らが認めざるを得ないほど実績ある人間になれば。

もしかしたら、いつか対等に話せる時が来るかもしれない。彼らが見ようとしなかった家族問題の本質に向き合ってくれるかもしれない。
衝突を繰り返すわたしに対して、彼らは知る由もないだろうが、わたしは心の底から親に向き合っているからこそ、向き合いたいからこそ、仮面家族のようなことはしたくない。
予測不可能な未来を前に、いまこの時点で彼らに諦めを下すのはまだどうしても早いと感じてしまう。
あと少しだけ、わたしは彼らに期待してみてもいいと思うのだ。

その一方で、兄は後者を選んでいた。
第一子として、特別な愛を注がれた兄。体も弱く、父の転勤により周りの環境が変わったことで内向的になり、比較的外向的かつアクティブだったわたしの存在により一層両親の心配を集めていた。
だからこそ、昔から彼は両親の扱い方をよく知っていて上手だった。そして兄は、(親への感情がわたしと同じである上で、ある意味で)子供として親を見放すことを選んだ。両親が変わることはない。これ以上私たちが傷つく必要はない。自分たちの幸せだけに目を向けていく。
それが兄の答えだった。


選んだ道は違っても

そうして兄と電話で話すうちに、いつしかわたしが兄に抱いていた「大人の対応」に見えた言動の数々は、兄の「諦め」と「決断」の現れであり、両親に取り入ることではなかったと知った。
むしろ、選んだ道が異なるだけで、過去にも現在にも、私たちが抱く親への根本的な思いは同じで変わっていなかった。

4年の間に勝手に感じていた心的距離は一気に縮まり、実家で共に戦っていたあの頃の空気が戻ってきた感じがした。

わたしもあと少ししたら、また岐路に立つかもしれない。そのとき、わたしも兄の選んだ道を辿るのだろうか。
「機能不全家族」は、そこで育った子供たちは、
望ましい家庭の在り方に一瞬たりとも触れることはできないのだろうか。



#毒親 #親 #子供 #親子 #家庭環境 #愛着障害 #HSP #AC #機能不全家族



いただいたサポートは、より視野を広げるために最近頑張っている(苦手な)読書に使わさせていただきます。