絵を描くことが好きな子どもと、ほめる大人たちの話。
妊娠中にモンテッソーリ教育の本を何冊か読んだ。
モンテッソーリ教育では「むやみやたらに褒めない」そうだ。
子どもは本来、自分の意志で今自分の成長に必要な活動を選択して集中している。人に見せるわけでも、先生や親にほめられたいから活動しているわけでもないと。
そこで少し思い出した、「上手ね」と言われ続けた私の昔話をしようと思う。
私は幼い頃から絵を描くことが好きで、画用紙やチラシの裏にずっと絵を描いているような子どもだった。
「上手ね」と褒められることも多かった。褒められると嬉しかったけれど、誰に見てもらわずとも褒められなくてもずっと描いていた。それくらいただ絵を描くことが楽しかった。
可愛い女の子の絵も、デッサンも、絵の具を使うこともなんでも楽しかった。
あまりにも夢中に絵を描いているので、小学生の時には知り合いのお姉さんが近所の小学生を少数だけ集めてやっている図工教室(そこでは裁縫や料理も教わった)、中学生の時には美大を受験する人たちが通うような画塾の中学生向けの講座にも通わせてくれたりもした。
特別裕福な家庭でもないのに、何故あんなにすんなりと絵の教室に通わせてくれたんだろうと今さらながら不思議に思う。
ただひとつ思い当たるのは、中学校に上がる頃には私は学校の中で自分の能力を披露することは損だと思っていて、人前で絵を描くことをしなくなっていたことだ。(人よりできることを利用される鬱陶しさを音楽で嫌というほど経験していた)
そんな心の内を知ってか知らずか、親は私が描くことに思いきり夢中になれる場を提供してくれたのかもしれない。もちろん親(主に父)自身が美術や音楽が好きというのもあるだろう。
しかしこんなに恵まれた環境の中で、私はどんどん絵を描くことへの情熱が薄れていった。
図工教室でも画塾でも、描けば描くほど周りの大人たちが「この年齢で」「上手だね」「将来は絵の道に」と言ってくるようになった。美術の学校のパンフレットを並べ、絵を描いている背中に偉い大人を呼んできた。
どこに行っても「上手だね」「すごい」と言われるその状況に、嬉しいけど“何か違う”と違和感が募っていった。
それら期待のどれもが絵を描く手の枷になり、楽しい気持ちが萎んでいった。
この絵は”上手な”絵なのだろうか。上手に絵を描いたつもりではない。あの学校に入りたいから描いたわけでもない。ただ好きに描いていただけ。
周りの期待と自分の気持ちとのズレが、褒められるたびに窮屈に感じるようになっていった。
そんな思いを端に抱えながら絵を描くようになった頃、中学校の先生に勧められて自分の絵をコンクールに出したことがある。
決められたテーマのある若者向けの絵画コンクールだ。
いつもより少し大きなキャンバスに、何日もかけて色をたくさんのせた。
勧めてくれた先生が美術室を自由に使わせてくれたので、私は休み時間や放課後といった合間を縫って夢中で描いた。
とても楽しい時間だったことを今でも覚えている。
コンクールに絵を出した数週間後、審査員会から「あなたの絵を大賞にしたいけど、ここを直してほしい」と依頼がきた。
絵の一部がこのコンクールでは穿った解釈をされてしまうから、修正をしてほしいと。
…
思い切り描いた絵は、結局誰かの評価を得るため、期待に応えるために絵になった。
言われた通りに修正した私の絵は大賞をとった。
そして私はそれきり絵を描くのをやめた。
子育てを通じて子どもの教育理論を学んでいくと、自分の昔の記憶をたどるような発見がある。
あまり理論にとらわれずに子育てしたいとは思っているけど、モンテッソーリ教育の「むやみやたらにほめない」はいいなと思った考え方のひとつである。
どういう声かけが正解なのかは正直難しいところだけど(その子によっても違うだろうし)、「上手だね」と評価することと、ただ認めるということは似ているようで違うのだ。
私は自分を言葉で表すことに不器用な子どもだったので、この葛藤を誰にも言えずに、抜け出させてくれる人に出会えないまま絵を描くのをやめてしまった。
父は私に美術か音楽の道に進んでほしかったようなので、これまで存分に好きにさせてくれた分申し訳なかったけれど…
あのとき、純粋に好きで楽しんでいたとき、大人たちにどんなふうに関わってほしかっただろう。
どんな友達がそばにいたら、と今でも少し考える。
息子は私のように悩まずにうまくやっていけるかもしれないけれど、我が子の夢中になれることを、のびのびと発揮できるようにしてあげたいなぁと思うのであった。
…
最後に。
絵を描くことはやめてしまったけど、大人になった今では美術館に足を運んだりアートをテーマにした書籍を読んだりして案外楽しんでいる。
(美術館はコロナ禍で何故か休業を強いられていて中々行けてないのだけど。本当に何故。)
絵を見るだけではなく、画家たちの苦悩や喜びといった背景を知ることが大人になった今とても楽しい。
一度離れてもまた好きになれることは大人の醍醐味かもしれない。
いつかまた、絵を描く日もやってくるのだろう。
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