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"普通"になることをやめたら、結構楽に生きられるのかもしれない

毎週大好きな『セブンルール』を見ていた時に、一人のガーデナーが紹介されていた。

緑の髪に、緑色の服、まるで映画版『SEX AND THE CITY2』のライザミネリを彷彿とさせるロックな髪型と風貌は、一見するとガーデナーには見えない見た目だったことに衝撃を受けた。

ただ彼女から発せられる言葉が非常に哲学的で芯をついた名言が連発されるのである。10代の頃はヤマンバギャルをやっていたので、ネイルや髪の毛を気ににすることのない職場がいいと農協で働き始めたことが、ガーデナーになるきっかけだったと話ていた。

冒頭、彼女の見た目歴史を運転免許で振り返るシーンがあったのだが、5枚あるうちの3枚目はどちらかというと、普通よりの風貌だった。

その他は個性あふれる風貌なのに、なぜその時期だけ普通よりの見た目だったのか?

そんな疑問をディレクターが投げかけると一言。

『普通にならないと結婚できないと思ってたんですよね』


恥ずかしそうに頬を赤て、発せられた言葉に納得した。

誰しも20代中盤を過ぎた頃、第二の結婚ラッシュがくるので、自分もこの勢いに乗らなければ一生結婚できないのではないかと、皆同じ合図で婚活を始めるタイミングがある。

私の中でその時期に結婚しなかった女の共通点と言えば20代前半にそこそこモテてた女だ。(生涯モテ続けている女を除く)

ただ、それはそれなりの理由があるとも思うし、20代前半の時にちゃんとした恋愛をしていない場合によく起こりうる現象だと30代になり恋愛を改めて勉強中の私は考えている。

昔仲良くしている男友達に『なんで見た目がパッとしない女は結婚できて、私は結婚できないのかな?』と尋ねてみたことがある。(本当に最低な女だ)

彼からの回答は『何も持ってないからだよ』という回答だった。

頭の中が、はてなでいっぱいになった。

でも、数秒経った後に、『何かを求められることはすごくめんどくさいことなんだよ。特にお前みたいに、人生を頑張って生き抜いてきたみたいな女はさ、男からすると扱い切れないと思われるんだよ。』と言われた瞬間になんとなく納得した。

確かに普通の人たちの中では普通の価値観やルールがあるけど、私の価値観の中では、そういうルールをぶち壊してこそ人生を楽しむ醍醐味みたいな思想があることを思い出した。

小さな頃からあまり恵まれた環境にいなかったからこそ、恵まれた環境にいる人には絶対負けたくないという強い気持ちが、いつしか鎧となって重たく自分にのしかかってしまったのだ。

これを世間一般では"こじらせ"というのかもしれないが、私にとってはそんなの正直どうでもいいのかもしれない。

もちろん刹那的に、みんなと同じように『普通』になりたいと思う時もあるが、やっぱり私は『普通』よりも『特別』になりたいという欲求が強いからなんだと確信した。

もちろん何が『普通』で、何が『特別』かなんて言語化できていないし、そもそも全ての人が『特別』なのかもしれないが、33年間の短くて長い人生の中では、人知れず"特別な自分"を愛して生きてきた気がするから、特別になれなかったとしても、その過去の自分を認めてあげればいいと思う。仕事もプライベートもうまくいくけど恋愛はなかなかうまくいかないのって、一人で完結できることではないからというのは耳が痛いほど聞いた言葉だ。

そして、この文章を書いていて気づいたことがある。

私はきっと『普通』を追い求めているから生きづらいのだ。なぜなら私は『特別』を求める『普通』の人間だからだ。

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