飲食業の世界に魅せられて #1喫茶店 16歳初めてのバイト

生まれて初めてのバイトは高校1年の時、学校の帰り道に駅前で通り掛かったとある喫茶店の前に ”ウェイトレス募集” と張り紙があった。
ウェイトレス、、、なんとなく憧れる。。。ドキドキ。そこは正面入り口の横にコーヒー豆売り場が設けられていて豆だけを買いにくるお客さんの為にベルがあった。


勇気を出してベルを押すと年配の女性が出て来た。 (偶然にもオーナーだった)
バイトをしたいという旨を伝えると確か歳とか聞かれたと思うが、割と簡単に明日とか明後日から早速来てくれとか言われた。
多くのお店がそうかもしれないが裏口から入った所に従業員用入口があり、エプロンやら荷物置きがあり、そこにタイムカードラックが掛けてあった。生まれて初めてタイムカードと言うものをタイムカードマシーンなるものにガシャンと入れ込んでそこから時給が発生すると知った。

1984年の秋。当時は町中に溢れていたいわゆる昭和の純喫茶でサイフォンで建てたコーヒーとサンドイッチやトースト系の軽食のあるお店。
時給は確か450円だったと思う。
最初は週3日くらいで時間は学校が終わって家に帰って着替えてから向かってと言うパターンで5時から8時だった。(お店の閉店も8時)
のんびりコーヒーやケーキなどを運ぶだけの仕事だと思って臨んだバイトだったけど思いがけなく大変な業務が待ち受けていた。
それは ”出前” と言うものだった。現在の喫茶店で出前というのはもうないと思うんだけどどうなんだろ?
今の様にテイクアウトのコーヒーなんてなく、缶コーヒー以外はみんな喫茶店でコーヒーを飲んでいた時代。
朝はモーニングというのがあってコーヒー一杯の値段で小さいサンドイッチがついて250円。(ゆで卵はオプショナル)。そしてみんなコーヒー飲みながらタバコをスパスパ吸っていた。当時はごく普通の光景。

さてこのコーヒーの出前と言うのが毎日結構あって、どこに出前するかと言うと個人宅ではなく会社のオフィスか同業者、つまり別の形態のサービス業が多かった。つまり近所のうどん屋、ピンクサロン(!)、スナック、居酒屋など。後は不動産屋や商社のオフィスの会議室に持って行ったり。
テイクアウト用の紙コップとかではなく、出前と言うのはお店で使う様な普通のカップとソーサーやスプーンを持って行ってそこで注いでお出しする。
何で運ぶかって? 普通にお盆で運ぶのである。ラーメン屋の様なああ言う出前箱ではなくお盆で、、、一人で持てない様な量のオーダーななかったと思う。そして1時間ちょっと経ったくらいで再度器を引き取りに戻らなくてはいけない。一度の出前で二往復だ。殆どの場合は入り口にまとめて置いてくれていたのでそれをピックアップして店に戻る。
ある程度これをやってるうちに気づいた事だが、同じサービス業の人達は殆どの場合この飲み終わったカップをせめて濯いでか洗ってくれた状態で出されていたが、オフィス系はそれはなく汚いままぐちゃぐちゃっと置かれていた。ひどい時はまとめてもくれてなく終わった会議室にバラバラに置かれたままのカップを自ら回収して回らないと行けなかった。
同業者同士の中では礼儀の様なものがあったと思うが、オフィスの人達はそう言う礼儀はないし私達飲食業の人は見下げられてるのかと言う事がわかった事だけでもとても良い勉強になった。

駅前だった事もあり目の前に踏み切りがあった。
出前先が踏み切りの手前か向こう側かで随分かかる時間が多いに違ったし、雨の日は左手でお盆を持ち、右手でワンタッチの傘をさしてなかなか大変だった。
出前の電話が鳴る度にどきっとした。

でもそれも慣れ、日数も増え週末にも通しで(朝7時半から夜8時まで)入り始め時給も上がり高校生にしては稼いでいた。
一番最初にバイトで稼いだお金で買ったものはジョグという赤いスクーターだった。確か8万円くらいしたと思う。
高校1年の冬だった。原付免許というのを取りに行ってすぐに購入した。

因みに私の行っていた高校はバイトもそういう単車免許を取ることも勿論乗る事も禁止だった。
でも私は全く悪気もなく普通にやっていた。いわゆる不良ですな、。。

その喫茶店でサイフォンでのコーヒーの淹れ方も学んだし、美味しい軽食の作り方も学んだ。
今でも ”昭和の喫茶店のサンドイッチ” と言って同じ様に作るとみんな本当だーーって喜んで食べてくれる。ポイントは湯気が出るくらいの焼きたての卵、レタスではなくきゅうりを使う事。マスタードではなく必ず和がらしを使う事。

ホット(ブレンドコーヒー)にアメリカン
ミックスサンドにピザトースト
ミックスジュースやアイスミティ (アイスミルクティの事)
レーコー (冷コー)関西ではアイスコーヒーこう言う

懐かしいな。
重厚な年季の入ったドアが開くたびにカラカラんとドアにかかっているベルがなった。そこをくぐるといつも挽きたてコーヒーの香り。
私は高校3年になってそこを辞めるまで随分色んな社会勉強をさせて貰った。
私の高校生活を思い出す時、その頃夢中だった彼氏との甘い思い出も喧嘩の思い出も、、ここでのバイトの日々とぴったりと重なる。
青春そのもの。

今現在はそこは立ち飲み屋になっている。




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