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掃除機を回す

令和3年4月11日の日記
昨年の3月頃からハングルの勉強をしています。新型コロナウイルスの影響で家にいる時間が長くなったので、せっかくできた時間を無駄にしないように、よっしゃ、いままでやりたくてもやれんかった語学の勉強に充てたろかい!なんちゅう勤勉な不惑、まさに不惑の鑑やね。よっ!あくなき向上心!なんて思っていたら、世間的に語学を勉強し直す人が増えたらしいとニュースで聞いたときは、なんだかがっかりしてしまいました。所詮、私のような凡人は知らずうちに世間様の流れに身を任せて生きているのです。せめて、何か特別なことをはじめてやった感は出さないでおこうと思いながら、いま、こうして丸ごと書いてしまっている私は、結局、まぁ、そういう人間なのです。

音楽にしろ、小説にしろ、何にしろ、私ほどではないにしろ、「私たち、他にはないことやってまーす」っていう人たちは、たぶん、たいしたことをしていないんだと思う。もう少し謙虚に活動したほうがいいんじゃないかしら。それでも本当に一握りは、すごい人たちがいるからタチが悪いんですよね。その人たちの存在のせいで、「そっち側」にいると勘違いをしちゃう人たちの多いことよ。しかし、その全ての人々が、語学の勉強しなおしてるくらいで、たいそうなことをやってのけた風を気取ってしまった私よりは、たいしたものだと思います。

どうしてハングルを勉強しようと思ったのか、といえば、別にたいした動機はなく、ただ、本当に何語でもよかったんですけど、たまたま書店の語学の棚に『マンガでわかる!1時間でハングルが読めるようになる本』っていうのがありまして、なにせ、アホなものですから、「ほほう、1時間でねー。それなら読んでみてもいいな」とばかりに、その本を買ったところ、1時間は言い過ぎとしても、1週間くらいであのわけのわからないハングル文字が読めるようになったから、面白くなったんですよね。まったく意味はわからなくても、とりあえず「読める」というのは実に面白いものです。

同じタイミングで中国語、フランス語、ロシア語、スペイン語、ドイツ語なんかも、一斉にスタート切ってみたんですが、結局、一年続いたのはハングルだけでした。

最初に出会った『マンガでわかる!1時間でハングルが読めるようになる本』が入口として最適だったというのもありますが、あと、ハングルは日本語と共通点が多いのもとっつきやすかったところです。

「田中さんは会社員ですか?」は
「다나카 씨는 회사원이에요?」ですが、
 ●다나카 씨(田中さん)
 ●는(は)
●회사원(会社員)
●이에요?(ですか?)」
このように日本語と文の構成が同じなんですよね。英語だと主語の次に動詞がきたりするから、明らかに日本語と違うんですけど、ハングルはそこが全く同じなので、逆に「ほんまにこれでええんか?」となってしまいます。英語の学習のおかげで私はすっかり素直な心を失ってしまったようです。もしくは、運転免許の試験のときに失ったかどちらかでしょう。

とはいえ、日本語とハングルが、全く同じなのかといえば、もちろん、そんなわけはなく、その「差」の部分が面白さだったりもします。

面白いなー、と思ったのは、「掃除機をかける」と言う場合にハングルでは「かける」を
「돌리다」という単語であらわすんですが、これが日本語で言うところの「回す」なんですよね。ハングルでは「洗濯機」や「換気扇」と同じように「掃除機」も「回す」んです。モーターを回して使う家電はすべて「回す」わけです。日本語では「洗濯機」と「換気扇」は回しますが、「掃除機」は「かける」ものですよね。これは、同じお掃除である「雑巾がけ」のイメージなんでしょうか。それに、「洗濯機」や「換気扇」と違い、「掃除機」は回っている部分が見えませんので、同じように「回す」にはちょっと違和感があるのかもしれません。形状が、おおまかに分けると細長いバット型ですから、ぶんぶん振り回す姿を連想してしまうというのもあります。

違うから「難しい」のですが、違うから「面白い」ともいえるわけで、私、この「回す」という単語は「돌리다」と覚えましたけれど、
「かける」は何というか、わかりません。こうやって、違うところを見つけたときに、少し興奮を覚える瞬間が最近はありまして、そういう時に、やっぱり少し、「語学好きな俺、なんか、カッコええやん」って思ってしまえるくらいにはアホです。せめて30年前にこの優越感を抱けてたら今頃はもう少し人に尊敬される人間になれていたのかもしれませんね。残念でなりません。

#令和3年4月12日
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