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水をひねることができる言語

令和3年4月16日の日記

新年度が始まり、次男が小学校に入学しました。5年生の長男と一緒の時間に家を出ます。朝7時50分頃です。それまでに朝ごはんを食べ、着替え、歯磨きをし、うんこも済ましておいたほうがよいのですが、起きる時間が数分遅れるだけで、すべてが少しずつ少しずつ遅れてゆき、気づけばうんこをする時間がないのに便意が追いかけてくる、という状況に陥るうえ、そんな時に限って私がうんこをしているというわけで、こんなとき、うんこを出しているはずの私が妻にクソ呼ばわりされたりするのです。

いや、すみません。私の妻はそのような汚い言葉は使いません。しかし、似たような言葉を頭の中では発していると思います。そういえば、玉ねぎの匂いを「いい匂い」と私が言うたびに「ゴキブリみたいやな」とは言うてきます。

さて。
あわただしい朝、集団登校の見守り隊であるため、妻も子たちと一緒に家を出ます。私もちょうど同じくらいの時間に仕事へ向かいますから、みんなほぼ同時に家を出ることになり、出発前には「テレビ消して!」「コタツ抜いて!」と妻の声が響くわけですが、ふと、この時、「テレビは消えないよな」とか「コタツは抜かないよな」とか脳裏を掠めるわけですが、(確か若かりし頃のダウンタウンの漫才ネタにもあった気がする)もちろん口には出しません。

「テレビの電源を消す」が「テレビを消す」になり、「コタツのコンセントを抜く」が「コタツを抜く」になることは、日本語の世界では、おそらく、「間違い」だとか「言葉が乱れとる!」だとか言われておらず、むしろ、そう指摘する人間のほうが滑稽であると思います。(だからこそ、記憶が確かなら若かりし頃のダウンタウンが漫才のネタにしたのだと思う)

先日、NHKラジオの『まいにちハングル講座』5月号の巻末に掲載されている「まるごと覚える韓コロケーション」という特集ページに「蛇口をひねる」をハングルでは、「물을 틀다」という言い方をする、と書いていました。「물을 틀다」は「물을(水を)틀다(ひねる)」です。ハングルでは、蛇口ではなく、水をひねってしまいます。「蛇口をひねり、水を出す」のが「水をひねる」ことになってしまっていて面白いなーと思っていたときに、朝、立て続けに「テレビ消して!」「コタツ抜いて!」を聞いたので、いつもより余計に耳に入ってきたのではないかと思います。

テレビを消すのはマジックみたいで、コタツを抜くのはプロレスのパワーボムのイメージ(テリーゴディのが好きでした)、水をひねるのは『ジョジョの奇妙な冒険』第2部の「波紋」を思い出しますね。ツェペリさんは確かチベットで波紋を習っていたはずですが、実は源流は朝鮮半島だったのかもしれません。

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