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エッセイ『私語厳禁考』

 毎月楽しみにしている『文學界』。10月号は総力特集『JAZZ×文学ふたたび』ということで、これがなかなか面白い。ほんとに毎月、いろんな角度から読者を楽しませてくれ、これで1300円というのは、ありがたい限り。気持ちとしては倍の値段払ってでも読みたいけど、倍の値段だとたぶん買わない。出版社の皆様のご苦悩、お察しいたします。本が好きだなんていっても所詮私なんてそんなもんです。そんなもんであるがゆえに、1300円という価格設定がありがたくてなりません。

 まだ読んでる途中なんですが、石田夏穂さんが東京のJAZZ喫茶をめぐったレポートが面白かった。京都にもあるけど行ったことないJAZZ喫茶。何かと暗黙のルールがあるようで近寄り難いJAZZ喫茶。ジャズといえば、クリフォード・ブラウンの『Study in Brown』くらいしか知らない私は入ってはいけないのではないかと身構えるJAZZ喫茶。今号の村上春樹さんのインタビューにしても「なんかイキって知ったようなこと喋っとるけどほんまは出鱈目喋ってるだけとちゃうんけ?」くらいにしか思っていない私なんぞは絶対に入ってはいけないだろうJAZZ喫茶。

 いや、きっとそんなことは無く、別に自由に入ればいいんでしょうけど、なんとなく自分のなかでハードルになっているのが「私語厳禁」のイメージなのです。一人で入るなら別に私語厳禁でも構わないんですけど、「私語厳禁」を掲げられると緊張しちゃう。

 そんなJAZZ喫茶によくあるルール「私語厳禁」は、ジャズに真剣に耳を傾けるためという目的の他に、別の側面もあるらしい。石田夏穂さんが書いています。



ジャズ喫茶が台頭した六十年代はレコードが高価だったため、新譜が出ても一般の人はおいそれと買い求めることができなかった。そこで訪れたのがジャズ喫茶だったが、店内にウルさい者がいると稀に客同士で喧嘩に発展することがあったという。「私語厳禁」の背景には、そうしたトラブルを回避する思慮もなきにしもあらずだった。

※(※内引用)

 「私語厳禁」に身構える反面、正直ありがたかったりもする。昨日、始発5時5分発大阪行きの電車に乗り、あんまり寝てなかったから、完全に「寝るモード」で端っこに座ったところ、向かいの兄ちゃん三人組が、何がそんなに面白いんやという他愛もない話でギャーギャーギャーギャー騒いでいたのが激しく不快でした。別に喋ったらあかん規則は無いし、構わんのですけど始発だぜ?周りを見てご覧なさいよ、あんたらの周りの人たち、みんなウトウトしてるやないの。少しくらい気を遣ってくださってもよろしいんじゃありませんこと?と思っておりましたら、私の乗った次の駅で乗ってきて私の近くに着席したおっさんが、しきりに「ゴホン!」「ぐぅぅぅーぬぬぬぬぬぅうぉっふぉん!」などと咳き込んだので、これは絶対、うるさい兄ちゃんどもへの当てつけに違いないと思い、「よっしゃよっしゃ、ええぞ、おっさん!もっとやれ!」と思っておったのですが、兄ちゃんどもの話はやまず、おっさんの「ぐぅぅぅーぬぬぬぬぬぅうぉっふぉん!」も続いています。次第に私はおっさんの「ぐぅぅぅーぬぬぬぬぬぅうぉっふぉん!」のほうが不快に感じることとなり、全く眠ることができずにいたところ、たまたま読んでいたのが、石田夏穂さんのJAZZ喫茶めぐりのレポートだったわけです。

 「ぐぅぅぅーぬぬぬぬぬぅうぉっふぉん!」のおっさんが途中下車してしばらくすると、私はいつのまにか眠っており、終点かつ目的駅の直前で目を覚ますと、まだ兄ちゃんたちはキャッキャキャッキャしていました。気になりだすと不快でしかないけれど、気にならなくなれば、特別不快でもなくなるもの。が、しかし、最初から兄ちゃんたちがうるさくなければ、すぐに寝れただろうしなー。「私語厳禁」などと言わずとも、なんとなく「空気を読む」というのも大切なのか。しかし、それを強いる世の中も、あまり素敵とは思えないし。ただ、石田夏穂さんのレポートを読み、始発列車の私語の風景を体感したことで、JAZZ喫茶の「私語厳禁」に対する印象が変わったことは確かです。今度、思い切って入ってみようかしら。と思ったけど、そういえば、どこにあるか知らんかったわ。

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