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短編小説『おじいちゃんのたばこ』

四条烏丸にある職場から三条御前あたりの自宅マンションに自転車で帰る間、涌井は歩きながら煙草を吸う男、自転車に乗りながら煙草を吸う男、接客業の休憩中なのか、飲食店の裏口を出たところ、しゃがんで煙草休憩している女とすれ違った。自転車の男にいたっては道路を逆走し、そのうえイヤホンをしていた。パンクバンドの名前がプリントされたTシャツを着ていた。ああいう輩がパンクのイメージを損ねていると思うと、パンクのことをよく知らない涌井でさえ、頭にくる。

ここ2年くらいの間で、ながら煙草をよく見るようになったのは、街中から喫煙所が消えたからだろう。JR二条駅に隣接するショッピング施設の脇にあった喫煙所も無くなってしまった。居酒屋でお酒が呑めなければ家で呑むし、家でも呑めないなら公園で呑むのと同じだと思う。満室のラブホテルの前の花壇に腰かけた男の股間で頭を上下させている女を何度か見たことがある。

先日は千本三条の交差点で信号待ちをしていると、前の自転車の男が煙草を吸い出したので聞こえるように「臭っ」と言ってやった。ビクっとして振り向いてきた男は、涌井と目を合わせることは巧みに避けていたように思う。しかし、「臭っ」と言ってやったのは何故かといえば、それは所詮、涌井にとってこの男が赤の他人だからでしかない。

あれは長男がまだ小学校に入学しておらず、次男が産まれていない頃だから、長男は3歳くらいであったか。涌井の実家から父と母が孫の顔を見たいと電車でやってきたので、涌井は長男を連れて迎えにいった。いや、あの時、妻はいなかったから、次男が生まれたばかりだったのかもしれない。長男は5歳くらいであったか。まあ、長男が何歳だったかはさして問題ではない。10分ほどのJR二条駅までの道のりを親子二人で歩いて行った。

「あれまー、弥助ちゃん、ずいぶん大きくなったんやなー」
涌井の母親、つまり弥助のおばあちゃんが甲高い声をあげる。それなりに人通りの多い駅前でその声はさほど目立つものではない。おばあちゃんの少し後ろを不機嫌そうにおじいちゃんが付いてくる。愛情を表すことが極端に下手くそなこのおじいちゃんは、孫に会うのが楽しみで楽しみで仕方なかったくせに、かっこつけているのか照れなのか、俯きがちに無言で付いてくるばかりで、こちらが「わざわざ来てくれてありがとう」と言っても何も返してこない。

なんやねん、と思うものの、血の繋がりというのは恐ろしいもので、涌井には父親が何故不機嫌なのかがよくわかる。母親が先に弥助に声を掛けたのが不服なのだ。改札を抜け、目の前にいる息子に連れられた孫を見た瞬間、彼は相好を崩し、滋賀県北部の片田舎、愚妻との暮らしの中では保ち続ける威厳など、どこか遠くへ放り投げて駆け寄らんとしていたところを愚妻に先を越されてしまったのだ。しかし、それを公然と非難するのは器が小さい男のすることだということはわかっているため、せめてもの抵抗で不機嫌を演出しているのだった。

ショッピング施設の前を通り過ぎ、自宅マンションへ向かう。保育園で友達はできたのかとか、どんな食べ物が好きなのかとか、好きなテレビ番組は何だとか、興味の赴くまま、弥助に質問を浴びせかけ、会わずにいた何ヶ月かの空白を埋めにかかるおばあちゃんと対照的におじいちゃんは不機嫌なまま後ろを付いてきている。

三条通りで信号待ちをしていると、喫煙所の臭いがするので何だと思い、涌井が振り返るのよりも「あー!おじいちゃん、煙草吸ってはるー!あかんで!」と弥助が声を上げるのが早かったが、涌井が振り返り切るよりも先に「弥助くん!そんなこと大きい声で言うたらあかん!」と母親が弥助に注意をした。ほんの僅かの差で先を越された涌井は、ついさっきまでの感情を方向転換し、父親のほうを向くのも止めた。代わりに弥助の頭を撫でた。

千本三条の信号待ちで今、涌井が赤の他人に向けて発した「臭っ!」は、あの日、方向転換してしまった感情である。しかし果たしてこれは矛盾として咎めれば済むことなのだろうか。自分そっくりの父親と、たまたま信号待ちで居合わせただけの見ず知らずの男とを、同じに扱うのが人間らしさなのだろうか。小学5年生になった弥助は今、涌井のよく知らない、世の中の不条理を歌うパンクロッカーの歌を聴いている。あの日、父親に頭を撫でられた不条理に歌詞を照らし合わしているのかもしれない。

#令和3年9月27日  #コラム #エッセイ #日記
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